チャーミー中元、おゲイライター誕生の裏にはリスキー長谷川の大いなる愛があった! (1/4)
チャーミー中元
おゲイパチンコライターのパイオニアでMIX BAR経営者。番組ADを経て「パチンコオリジナル実戦術」でデビュー。パチンコだけでなくスロットとの二刀流でジャンルを超えて活躍している。2018年に新宿二丁目にMIX BAR「ふぁびゅらす」をオープン。ガチムチ、ガチポチャの殿方がタイプ。- https://twitter.com/charmynakamoto
- ふぁびゅらすTwitter
- https://twitter.com/fabulous_mixbar
- ふぁびゅらすチャンネル
- https://www.youtube.com/c/fabulousmixbar
今回の「エキスパート」は、おゲイライターのパイオニアのチャーミー中元さんです!
インタビュー場所に関して、ご指定がありまして…
お店でお待ちしています。
とのことで、取材班が到着したのは新宿三丁目駅。
新宿三丁目駅C8出口を出てすぐの花園通り(柳通り)をまっすぐ3分くらいで 看板が見えてきました 大木ビル2Fのドアを開けると いらっしゃ~い今回はMIX BAR「ふぁびゅらす」にて新宿2丁目の雰囲気も味わいながら、チャーミーさんのライターとしての歴史を紐解いていきます。
師匠・リスキー長谷川の知られざる愛
まずは経歴からですが、業界のキャリアが16年目になるんですね。
もう、それくらいになりますね。
業界に入る前は派遣社員だったそうで。
ゲームメーカーのカスタマーサポートでコールセンターの仕事をしていました。
そこで9時~17時の仕事をして、アフターファイブで4号機のゲーム数狙いで副収入的にパチスロを打っていました。
派遣社員の給料だけじゃ食べていけなかったんですよね。
そこでパチスロ番組のADに転身されたと。
28歳のときにリスキー長谷川さんと知り合う機会がありまして、チャーミー中元という名前もリスキーさんに付けていただいたんです。
そこからパチスロ常勝理論とか、パチスロバトルリーグとかのADをやらせてもらいましたね。
それと並行しながら、週末はゲイバーでバイトをしていました。
静かなBARで話し始めたチャーミーさんでしたが、ふと話を止めて…
あっ、せっかくなんで何か飲みますか?
色々と気がつく気配りの人でしたありがとうございます!では、ハイボールでお願いします。
わかりました!
ちなみに、お店でのチャーミーさんは「マスター」ですか「ママ」ですか?
お店は僕と僕のパートナーでやってるんですけど、2人のお店ということで2人とも「店長」で「ダブル店長」って言ってますね。
こちらどうぞ。今は飛沫対策ということで、こんな感じでお出ししています。
ありがとうございます!
いや~、仕事を忘れそうになりますね。
そういえば、なんの話してましたっけ?(笑)
ライターになるきっかけですね。どういう流れでライターになったんですか?
28歳のときに付き合ってた彼氏が新宿二丁目の「トートバッグ」というお店のオーナーで、そのお店によく飲みに来ていたヘアメイクの女の子と仲良くなったんですよ。
そのヘアメイクの子が仕事柄色々な業界とつながっていて、ある日その子が「この前辰巳出版の人と合コンしてきたんだよね」って話になったんですね。
辰巳出版も新宿二丁目に近いですからね。
辰巳出版といえば必勝本じゃないですか。当時は普通に読者で、こういう好きなことを仕事にできるライターに憧れがあったんです。
それでそのヘアメイクの子に「辰巳出版の編集さんを紹介してよ」ってお願いしたんですね。
「いいよー」って紹介してくれたのがなぜかリスキー長谷川さんだったんですよ(笑)
「おやっ!?」ってなりますね(笑)
その子がパチンコ番組のヘアメイクを担当したときにリスキーさんと意気投合したみたいで、そのときに「リスキーさんと合うんじゃないか」って僕を紹介してくれたみたいなんですよ。
リスキーさんがビスカスワークスって個人事務所をやっていたんですけど、ちょうどアルバイトが辞めるってタイミングだったので「未経験ですけど何でもやります!」って直談判してビスカスワークスに入ったのが業界に入るきっかけでしたね。
タイミングがちょうど良かったんですね。
ただ、ライターの経験もなかったから「試用期間は3ヶ月ね」って言われてたんですよ。
それで3ヶ月経ったときに「中元、お前これからどうするの?」って聞かれて「僕、独立します」って言っちゃって(笑)
業界入って3ヶ月なのに(笑)
今考えると本当にありえないことなんですけどね(笑)
当時のリスキー長谷川さんがすごくお忙しくて、雇ってもらったんですけど事務所に1人でポツンとしていることが多かったんですよ。
フリーペーパーの機種紹介のページを作らせてもらったりはしたんですけど、ほとんど電話番みたいな感じだったんですね。
リスキーさんご本人が忙しいとどうしてもそうなりますね。
だから「このままここにいても何もならないのかな…」って考えるようになって「僕はフリーでやってみたいです」って言っちゃったんですよ。
リスキーさんにはチャーミー中元って名前を付けていただいたんですけど、それだけじゃなくて。
後に知ったことなんですけど、ビスカスワークスを辞めた後、リスキーさんがパチンコ・パチスロ業界の色んな人に「面白いヤツがいるからどこかで使ってやってくれよ」って根回しをしてくれてたらしいんですよ。
おお~!
僕は今「パチンコオリジナル実戦術」って雑誌の仕事を始めて16年目になりますけど、これも最初はリスキーさんの紹介だったんです。
だから、本当に「ビスカスワークスを3ヶ月で辞めてごめんなさい!」って感じですね。
めちゃめちゃイイ話ですね!
リスキーさんは今でもたまに「ふぁびゅらす」にお客さんとして飲みにきてくださいますね。
「ふぁびゅらす」を出す前も出した後も、チャーミー中元として活動してきた15年間の中で、何かあるといつも気に掛けてくださるんですよ。
だから一生頭が上がらない方ですね。
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