BASHtvよっしーが「本気で辞めたい」と思った出来事とは?デビュー当時の話を聞いてみた (1/3)
よっしー
BASHtv専属動画演者。BASHtvの立ち上げから中心メンバーとして活躍。好きな台を楽しむための豊富な知識と過剰な投資もいとわない深すぎる愛情を持った打ち方で人気を集める。音楽とファッションが好き。- https://twitter.com/yossi_rock
- BASHtv
- https://www.bash-tv.com/wp/
今回のエキスパートはBASHtvの看板演者、よっしーさんです!
パチンコ・パチスロに多大な愛情を示すよっしーさんが演者になるまでの経緯をお聞きしました!
好きなことで生きていく
ついにBASHの大看板にお越しいただきましたまずは、経歴からお伺いしていきますが、この「24年目」というのはパチンコ・パチスロに触れてから、ということですね。
そうですね。結構先立って打っている人も多いと思うんですけど、僕はちゃんと法的に打てるタイミングから打ってます。
よっしーさんの年代(1979年生まれ)だと中学、高校からデビューという方が多いですもんね。
そうなんですよ(笑)
僕らの世代は子どもでも結構入れたりしたじゃないですか。
昔は色々緩かったりしましたからね。
ちなみにキャリアに関してですが、まずは雑誌編集に至るまでの過程を教えていただけますか。
幼少期はわりかし勉強ができていた子どもで、大学も頑張ればいいところにいけたんですけど頑張りたくなくて、普通の大学にいくことになりました。
そこから、卒業を控えて「就職活動をしなければ」となったときに「お金じゃなくて、自分の興味のあること・好きなことを仕事にしたい」って思ったんです。
お金よりもやりがいを求める感じですね。
「生きてる時間の大半が仕事やから好きなことをやりたいな」みたいな感じで、最初に飲食業界に入ったのも食べるのが好きだったからです(笑)
肉屋とか色々受けたんですけど結局居酒屋のチェーン店に就職しました。居酒屋のチェーン店はどことは言わないですけど、やっぱり超ブラックなんですよ。
キツイという話はよく聞きますね。
僕が働いていたところは今も業績が良いところなんですけど、過労が原因で亡くなる方もいたぐらいでしたね。
それほどに過酷な環境であったと。
労働時間も1日20時間勤務とかが普通で、休みも丸1日は取れなかったりという生活を1年半くらいやった頃に「限界やな」と思って辞めました。
そこからドコモショップにいくんですけど、それも「携帯が好きやから」ですね。
「好きなこと」基準は変わらずなんですね。
もうめちゃくちゃ携帯マニアで、2ヵ月に1回くらい機種変するレベルで好きなんですよ。
色んなメーカーに手を出す感じですね。モトローラとか海外製のやつも好きで、当時やったらノキアとかですね。
あの頃のノキアはカッコイイですよね!
そんな感じで携帯が好きだったから、しばらくそこで働くことになりましたね。その頃にもパチンコ・パチスロはずっと打っていたんです。
そして、また転職を考えるようになった頃に「パチンコ・パチスロの仕事で何かないかな?」って探してみたんですけど、そもそもこの業界にどんな仕事があるのか全然知らなかったんですよ。
たしかに、何も知らないとホールかメーカーくらいしか思いつかないですね。
雑誌社も色々あって、マガジンやガイドや必勝本でも募集をしていたんですけど「そういうところはちょっと無理ちゃうかな~」と思っていて。そんなときネットで地元の編集プロダクションを見つけたんですよ。
そこに「未経験でもOK」と書いてあったので、ダメ元で応募してみたら採用されたんです。
「一番好きなパチンコ・パチスロを仕事にできるなんて!」みたいな感じでしたね。特に雑誌とかは自分と無縁の世界だと思っていたので。
あの頃の雑誌は「見てる側」で別世界のイメージがありましたよね。
そうそう。「見てる側」なんですよね。
めちゃめちゃ雑誌っ子だったので、好きでよく見てたんです。なので、老舗の雑誌媒体は恐れ多いという気持ちもありましたね(笑)
わかります!
でも、そうやって編プロとして入ってからは、JANBARIさんの下請けとかをやらせてもらっていましたね(笑)
JANBARI.TVが雑誌を出していた頃ですね。
この編プロがこのままBASHtvになったということなんですか?
そうですね。元は雑誌から始まったんですけど、YouTubeにようやくパチ系の動画が上がり始めた頃で、そこに目をつけて「動画を始めようか」ってなりましたね。それもあって、当時上がっていた動画をめっちゃ見てましたね。
それこそJANBARIさんの動画も好きで、シャークさんの動画は特によく見てました。
「デッド オア アライブ」ですね。
※デッド オア アライブ:自称カリスマディレクター・シャークが自ら実戦するJANBARI.TV草創期の人気番組。
他にもその頃のYouTubeだとシーサ。さんと閉店くんさんくらいでしたよね。だから、ウチの編プロともう1社で合同でやろうぜみたいな話になったんです。
そこでウチが編集と出役を請け負って、もう1社が営業とホームページなどシステム部分をやっていこうって始めたのが、いわゆる前の媒体ですね(笑)
色々あったところですね。
そうですね。色々あって離れた後に、BASHtvを立ち上げたという流れです。
つまり、初めて業界に関わった編プロ所属のまま動画に出ているということですね。そう考えるとBASHの中でもかなりの古株になりますか?
もう長いですね。生え抜きみたいな感じです。
ただ、僕はフリーのライターさんと違って会社員なので、演者というのは業務の中の1つという捉え方ですね。
パチンコ・パチスロが好きなので仕事にやりがいは感じていますけど、歳も歳なんで色々考えるようにはなってきてます。
プロデューサー的なポジションに回る感じですか?
そうですね。プロデューサー的な役割が最適かどうかは分からないんですけど、それでも会社を大きくしたり少しでも潤わすようにはしたいですね。
社員の子たちがすごく頑張ってくれているので、その子たちに還元して生活を守らなければいけないという目線は常に持っています。だからもう、自分1人がどうのこうのという段階ではないですね。
やっぱり長く在籍していると見ていくべきところが増えてくるんですね。
そうですね。なので会社全体も見ていますし、もちろん一演者としても全力でやっているつもりです。
ただ、これもどっちにウェイトを置けばいいのか、悩んだ時期もありましたね。ちょうど、チェリ男が抜けた時期だったので「このことが原因でそうなったんですか?」ってよく聞かれるんですけど、たまたま同じ時期だっただけなんですよ。
色々な人に相談もしたんですけど、そのうち「それって言い訳にしてる気がするな」って気がついて。結局、今の自分がシンプルに会社に一番貢献できることをやればいいだろうと思って「じゃあ、演者を全力で頑張るべきだ」となりましたね。
その頃はより演者としての活躍を求められていたでしょうしね。
媒体では当時2番手の立ち位置だったんですけど、それを「本当はやりたくないし」みたいに言うのってちょっとズルいじゃないですか。
だんだん「それは違うな」と思うようになって、そこで踏ん切りがつけられましたね。
もう1回腹をくくったという感じですね。
そうですね。嫌々やるのは他の演者の方たちにも失礼ですしね。
それに、ありがたいことにある程度自分を知ってくれてるファンの方たちもいるわけじゃないですか。その方たちのことも考えて踏ん切りをつけた感じです。
たしかに、BASHのファンの方は箱推しのイメージが強くて、ファンの方も含めてのファミリー感がありますよね。
そうですね。BASHのファンの方は箱推しが多いと思います。でも、割と年齢層が高めなんですよ。僕と同じ世代だったり、ちょっと上の方たちがBASHtvを応援してくれてる層では多いですね。
とても嬉しいんですけど、媒体の若返りもやっぱり必要だと思うんですよ。そのためにも、いつまでも自分が中心にならずに若い子が前に出れる環境を作っていきたいです。
もちろん、自分自身もやれる限りは頑張ろうと思っていますけどね。
これまでの経歴を伺うと、ターニングポイントの「ドコモショップで働いている最中に今の会社の求人を見つけた」というのは本当に大きな分岐点でしたね。
そうですね。これは人生の最大の転機だと思います。そうじゃなかったらこの業界に身を置いてませんから。今頃は何をやってたんでしょうねって思います(笑)
僕、音楽も好きだったから、CD屋にもなりたかったんですよね。
別チャンネルのCD査定の動画も拝見しました。
わざわざあんな趣味動画まで(笑)
本当に音楽も好きなんですよ。一時ヒップホップにもハマって、ものすごくディグるというか、曲を漁るのが好きでしたね。
動画では「大量のCDを査定に出したら?」という企画で、大量のCDが積まれていましたが、ジャケットを見るだけで二ヤっとできるラインナップでしたね。
あ~、わかりますか(笑)
ああいうのを見るだけでその人がどういう道を通ってきたのかがわかりますよね。音楽って文化はその人の人生に大きく影響していると思っていて、ファッションに表れたり、マインドの部分でも思想や文化が継承される感じが好きなんですよね。
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