チャーミー中元の夢はケンコバとパチンコデート?「魅惑の殿方」を語り尽くす! (1/5)
チャーミー中元
おゲイパチンコライターのパイオニアでMIX BAR経営者。番組ADを経て「パチンコオリジナル実戦術」でデビュー。パチンコだけでなくスロットとの二刀流でジャンルを超えて活躍している。2018年に新宿二丁目にMIX BAR「ふぁびゅらす」をオープン。ガチムチ、ガチポチャの殿方がタイプ。- https://twitter.com/charmynakamoto
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「エキスパート」チャーミー中元編、第3回です。
今回はおゲイのチャーミーさんに「魅惑の殿方」についてお伺いしていきます。
気になる扉の向こうの世界とは!?
殿方への目覚めは高校生から
ここからはチャーミーさんの「おゲイ」の部分についてお伺いしていきます。
この分野についてはまだまだ不勉強な部分があるのですが、いわゆるLGBTということで、今はさらにQもあるんですね。
※Q:「Questioning(クエスチョニング)」の「Q」。自分の性別がわからない、意図的に決めていない、という人のカテゴリー
今はそう言われていますね。
チャーミーさんはその中での「ゲイ」になるんですね。
そうですね。LGBTのGですね。
動画ではご自身がゲイだと認識したのが高校生の頃と仰っていましたね。
オーケストラ部の先生が初恋ですね。
それまでは自分の中でモヤっとしていた感じだったんですか?
モヤっとしていましたね。
中学校までは女子の友達が多かったんですよ。振り返ってみるとガールズトークで盛り上がっていましたね。
では、小中学校の頃も男子的な遊びなどはあまりしてこなかった感じですか?
そうですね。男の子よりも女の子と仲良くなることが多くて「女の子とはすごく話が合うなー」と思っていました。
女の子ってどーでもいい話をどこまでもできるじゃないですか。そんな感じでしたね。
でも、初体験は女性が先だったんですよね。
はい。初体験は男性も女性も18歳の時でした。そんな中でも数か月差で女性が先でしたね。
その時は「やっぱり違うな」と感じたんですか?
もう違和感しかなかったですね。
時代的にもゲイってこんなに一般的に知られてもいなかったですし。
そうですね。
今より差別も多かったですからね。
だから、ゲイって自覚はしていたんですけど「それは違うんじゃないか」って思ったりもしていました。
僕は自分が男だと自覚はしているんですけど「なんで男の人にドキドキしちゃうんだろう?」「この感情は間違っているんじゃないか」って。20代前半まではゲイであることを結構自己否定しちゃっていましたね。
今みたいにオープンにできるような時代ではなかったですしね。
そうですね。それこそ新宿二丁目に初めて来たときも、ゲイってことに負い目を感じていて、本名も名乗れなかったんですよ。
それを「オープンにしよう!」って決めたのはいつ頃ですか?
20代中盤ですね。大学の音楽部でバンド活動をやっていて、そのバンド仲間に好きな人がいたんですよ。
そして、大学卒業してからカミングアウトしたんです。すると、そのバンド仲間は受け入れてくれた…いや、「受け入れてくれた」って言ったら誤解がありますね(笑)
ゲイであることを許容してくれた、ってことですね。
そうです。その人はノンケさんだったので、恋は実らなかったんですけど「同姓からでも好意を持たれるって全然悪い気はしないし、それが中元からならむしろ嬉しい」って言ってくれたんです。
それが「ありのままでいいのかな」って思えるきっかけになったんですよね。
そこからはオープンにしていったと。
それから音楽部の同期の仲間全員にカミングアウトをしました。その後、母親と妹にもカミングアウトをしたんですね。
その時、母親は「息子がゲイ」ってことを受け入れがたい現実があったんですけど、20代中盤の頃に母と妹の3人で二丁目に飲みにいったんですよ。
そうしたら、周りのLGBTの仲間が皆ですごく盛り上げてくれて!
おお~!
結果、親もゲイに対するイメージを変えてくれたというか「僕が生きたいように生きればいいんじゃないか」って認めてくれたんです。
そこから「『自分はゲイだ』って堂々と言っていこう!」って思うようになりました。だから、その時のLGBT仲間には感謝しかないですね。
いい話ですね!
みんなが盛り上げてくれて、親もお腹を抱えて笑っていたんですよね。
なので、二丁目のみんなには本当に助けてもらいました。
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