射駒タケシが語る「やんちゃブギ」誕生秘話!廃刊危機からの逆転劇とは? (1/3)
射駒タケシ
パチスロ必勝本のパチスロライター。専業を経てパチスロライターに。自身がモデルとなった漫画「やんちゃブギ」で一躍人気ライターになる。ガチ攻略だけでなく楽しさも追求した「アッツい」打ち方で必勝本の兄貴的存在として業界内外を問わず多くの支持を集める。料理が得意。- https://twitter.com/ikomanoGakuya
- YouTube「イコマの楽屋」
- https://www.youtube.com/channel/UCdGQB77A4m4BW3dwKhQvQtg
- 射駒タケシの一週間
- https://www.amazon.co.jp/dp/4777826880/
パチンコ・パチスロ業界のスペシャリストに迫るインタビュー企画「エキスパート」
今回のスペシャリストは
パチスロ必勝本の顔にしてライターのパイオニア的存在、射駒タケシさんです。
第1回は上京してパチスロライターになるまでの経緯や、ライターのお仕事について伺います。あの人気漫画誕生の裏話も語っていただきました。
「環境を変えたい」と一念発起し上京
まず経歴から伺っていきます。「やんちゃブギ」を拝見しましたが出身は大阪だそうですね。
そうですね。21歳くらいまで大阪にいて、それから上京してきました。
上京した理由は何でしたか?
10代の頃からずっとパチンコ・パチスロしかしてなかったので、20歳を超えたくらいの時にふと「このままでいいのかな」と思ったんです。
そんな時にトラックの運転手をしてた先輩に「人がいないからちょっと手伝ってよ」って言われて、ちゃんと働いてみようと2~3ヵ月くらいやったんですけど、結局またパチンコ・パチスロ生活に戻りまして(笑)
ずっとダラダラした生活を送ってたので、環境を変えたいなと思って目標もなく東京に来ました。
その時点ではまだ何をするか決めてなかったんですね。
はい。家もなかったですからね。「まあなんとかなるやろ」って思ってました(笑)
そんな時に地元の先輩と偶然会って居候させてもらったそうですね。
そうですね。その時は渋谷に1店舗しかなかったスロ専で打って、カプセルホテルとかを転々としてたんですよ。
その生活をして10日目くらいの時に、センター街で地元の5つくらい上の先輩と会って近況を話したら、「それやったらうちに住んでいいよ」って言われたので、1ヵ月くらい居候させてもらいました。そこから自分で部屋を探してって感じですね。
その間もずっと専業だったんですか?
はい(笑)。大阪にいた時は365日打って飲みに行ってたんですけど、東京でも飲みに行かなくなったくらいで、結局やってることはほとんど変わらなかったんですよ。
だから「毎日何やってんのかな」っていうのはずっとありましたね。
葛藤があったんですね。
そうですね。「やってること変わらへん。結局パチスロやるんやな」って思いました(笑)
当時大阪は7.6枚交換やったんですけど、東京は7枚がベースで4号機の技術介入台も多かったんで、永遠に食えるなって感じで打ってましたね。でもライターになる気は全くなかったです。
ちなみに攻略誌は読まれてたんですか?
読んだことなかったです。タコスロとかを打ってる時に「パチスロ7」が創刊して、コンビニで何となく手に取ったんですけど、見たら全っ然面白くなくて(笑)。記事も薄い文章ばっかりで「攻略誌ってこんなもんなんかな~?」って思いました。
あまり良い印象ではなかったんですね(笑)。そこからなぜライターになろうと思ったんですか?
必勝本系って昔はライターが少なくて、その1号目にも募集が載っていたんですよ。正直何をするかもよくわかってなかったんですけど、「パチスロを打ってその知識でお金もらえるんやったら一石二鳥やな」と思って応募しましたね。
面接に雪駄とジーンズで行かれたそうですね(笑)
なんでそんなこと知ってるんですか?(笑)
色々、動画を拝見しました(笑)
それまでパチンコ・パチスロしかせずに生きてきたので、多分社会をナメてたんですよね。面接するのにちゃんとした格好をするっていう意識もなくて、当時年がら年中履いてた雪駄とアロハシャツで行きました。
当時の編集長が「すごいやつ来たな…」ってびっくりしてましたね。
そうなりますよね(笑)
それに今となっては本当に信じられないんですけど、僕面接中にタバコ吸ってたんです(笑)。編集長もパチスロ好きだったんで、話をしてたら友達と喋ってる感覚になって、「タバコ吸っていいですか?」って(笑)
よう採ってくれたなと思いますね。
いいね!する
307関連記事
ランキング
24時間
週間
月間
この記事にコメントする