慣れることのない「マイホとの別れ」。浅草で燃え尽きた某店とあしのの思い出!
浅草の一角に、ホールの亡骸がある。先般建設工事を終えたばかりのホテルの真向かい。ドラッグストアの丁字路の所にある、巨大なネオンが目印だったお店だ。
日本有数のストリップ劇場である「浅草ロック座」やビートたけしが住み込んでた事で有名な「浅草演芸ホール」なんかがある通りを「浅草六区通り」という。明治から大正にかけてのある時期には日本で最も進んだ繁華街とされていて、例えば日本で最初に映画館が出来たのもここだったし、あるいは最初に電気式のエレベーターを備えた高層ビルが建てられたのもここだ。今となっては「月曜から夜ふかし」で奇人・変人の集まる場所として頻繁に取り上げられるエリアになってるけども、六区はある一時期、本当に日本で最強の歓楽街だったらしい(吉原も近いし)。
んでその六区だけども、実際に歩いてみると結構狭いのに驚く。直線距離にして300メートルほどだ。そしてそんな中に、数ヶ月前まで4軒ものパチンコホールがあった。もっと古くは「宇宙センター」もあったし「アントレ」もあった。オイラが知ってるのはギリギリでその辺だけども、昔から住んでる人に訊くともっとあったらしい。北側にある千束通りまで足を伸ばせば別のパチンコ屋もあるし、そもそもチャリで10分の所に上野がある。そう考えるとなかなかのパチンコ激戦区。当然このご時世でそれじゃ共食い状態になるんで順次撤退していき、いよいよ前述のホールが撤退してしまったので、現在残っているのが3軒。うち2軒は同じ屋号のグループ店なので、法人としては2社しか残っていない。栄枯盛衰を感じる。
8年ほど前の話だ。
オイラは当時足立区の加平という土地に住んでいた。ラブホとラブホに挟まれるようにして建ったアパートを二部屋借りて、かたっぽを事務所に、そしてかたっぽを住居にしてたのだけど、同棲してた女性が他に男を作って出ていったのを機に心機一転、別の土地で再出発する事にした。最初は足立区内での引っ越しを考えていたけど、当時はよくアキバでパチスロを打ってたのでその辺で探すことにした。んで不動産屋さんで色々物件を紹介してもらっているうちに、浅草のとある物件に出会った。言問通りと国際通りが交差する四辻のちかく。件の六区通りにほど近い位置にあるワンルームマンションだ。
内見してみるといかにも狭かったし、見た目こそキレイだったけど細々した所で不備が目立つ部屋だった。網戸もいきなりぶっ壊れていたし、照明なんか今どきシーリング未対応の古臭いペンダント式だ。
ここは無いな。と腹の中で思いながら一応保留を申し出て別の部屋を見せて貰ってたけど、ひょんな事から聞き捨てならない情報を耳にして状況が一変した。
──ねぇねぇひろしくん、六区にマルハン出来るの知ってる?
チワッス。あしのっす! 今回はつい最近までオイラの「マイホ」だったお店の話だ。一応名目上は「リニューアル休業」だったので様子を見てたけども、もはや半年音沙汰が無いので復活の可能性は薄いと判断。大変お世話になったホールさんなので追悼の意味を込めて書きたいと思います。いつまでも、あると思うな親と金とマイホ。みんなもマイホは大切にね。
いくぜプレス!(掛け声)
飛び交う怪情報。一体何を信じればいいんだ!!
浅草にマルハン来たる!
この情報は東京の東側に住むパチンコ・パチスロ打ちならば一回は耳にしたことがある噂だと思う。事実、ネットを攫うと当時本当に「マルハン松竹六区タワー」なるホールが計画されていたソースが確認できる。場所はウインズの真向かい。なんと区主導で行われている「六区再生プロジェクト(浅草六区地区計画)」という再開発計画の目玉として扱われていたらしい。
事実、工事は既に始まっており、実際に現場に行ってみると前述の「浅草六区地区計画」の看板が建てられておるなか、重機が土地を均しておるのが見て取れたわけで。こうなると全然話が変わってくる。なんせ先日内見に行ったパッとしない部屋は、そこから目と鼻くらいの位置。ダッシュすれば3分くらいで到着する場所だったのだ。当時オイラは色々捨ててる時期であんまり真面目に仕事をするつもりが無かったし、なんなら駄文をしたためながらスロで食っていくのも悪くねぇなとか夢を見ていた頃だった。甘チャンである。が、庭先にマルハンが出来るのならば話は別だ。毎晩のデータ取りも楽だし、朝並びも余裕を持って出撃できる。完成は翌年4月。約10ヶ月後だ。
これは決めた方がいい。
直感に従って、オイラはその部屋に決めた。決まり手はマルハンだ。そう。オイラは引っ越し先をマルハンで決めたのである。厳密に言うと出店予定のマルハンに。こうして、オイラの浅草生活は幕を開けたのだった。
結論からいうと、浅草での生活はめちゃくちゃ楽しかった。
友達もたくさん出来た。昼間の仕事も順風満帆。ライター業も紆余曲折あって軌道に乗り始め、ちょっと前までの不遇時代が嘘のように人生を謳歌し始めた。が、マルハンは一向に建たなかった。開業予定日を過ぎても基礎工事すら行われる気配がない。何かあったのは間違いないけども、何があったかはわからない。
これに関しては浅草でまことしやかに囁かれていた噂がいくつかある。
最もよく聞いたのが「工事中に江戸時代の人骨が出てきた」というもの。どうやら明らかに古いものであっても人骨が出てきたら一応科学捜査せねばならんらしく、結果として古い時代のお墓であると分かった場合、今度は文化的価値についての調査が入るらしい。それで工事が止まっていると。繰り返すが噂である。本当かどうかは知らん。ただ、この話を一番良く聞いたのは事実だ。
次に聞いたのが「某お寺が怒ってる」というものだ。これも良く聞いた。というか浅草で工事関係で良くわからない中止やら白紙撤回なんかが起きた場合、大体は某お寺のせいにされて片付けられるという風習というか、風土がある。なんでウインズの横にパチ屋が建つのに某お寺が怒るのかどうか知らんが、当時は真面目にこの説を推す人もかなりいた。まあそれだけ浅草における某お寺の影響力がデカいという事なんだろう。
あと「不発弾が見つかった」という珍説もあったし、「某ホテルが怒ってる」という良くわからない説もあった。ちなみにオイラは「江戸時代の骨説」を推していた。まあ実際どうか知らんけども。なんかそれが一番面白そうだったからだ。
とはいえどの説も結局の所「いつかはマルハンが建つ」というのを前提にした与太話の類であって、みんな「早く出来ないかなぁ」という期待を込めた上で好き勝手語ってたのだと思う。
地元ホールの意地を見せた!浅草某店
さて、冒頭の話へ戻る。先日、浅草で1軒のホールがその営業の歴史に自ら幕をおろした。店舗名は敢えて伏せるけども、まさしくその「マルハン出店予定地」のド目の前にあったバリバリの競合予定店舗だ。
近隣にあった店舗が次々と閉店したのは2013年から2014年頃。これはまさしく上述の「六区再生プロジェクト」がリリースされた頃で、要するにマルハンの出店予定がブチ上げられた頃だ。しかもただのマルハンじゃない。8階建ての大型店舗である。上述2店舗の閉店とプロジェクトは決して無関係じゃないだろうし、それはそれで経営判断としては正しいような気もする。
問題なのはド目の前にある某店だ。元からそんなに流行っている店舗じゃなかったというか控えめに言って当時から既に虫の息だったけども、ここはファイティングポーズを崩さなかった。営業続行だ。
これに関しても地元のファンの間では「あの店はマルハンが開店する日に閉店するつもりだ」という噂が絶えなかった。誰が言い出したかは知らん。が、いつしかそれはほとんど定説のようになっていた。いつかバーで飲んでた時に初めてあった地元の爺ちゃんまでそう言ってたので、その噂は草の根レベルで浸透してたんだと思う。そしてオイラもそれを何となく信じていた。
フラフラの状態で、ギリギリまで立ち続ける中小ホール。
その姿はオイラの胸を強く打った。そもそも判官びいきな性質なので、弱くて負けそうで死にそうなものこそ応援したいし協力したい。最後まで寄り添って一緒に居たい。そもそもの噂がほんとかどうか知らないというか多分誰かが捏造した話なんだろうけども、それでもそのドラマ性は「信じた方が楽しい」ものであったので、オイラはそうすることにした。つまり、その辺からオイラはこの店にひたすら通うようになったのだ。負けると知ってて立ち向かう。ボロボロ泣きつつ立ち向かう。筋肉少女帯の歌にあるように、ガクガク震えながらもファイティングポーズを崩さない、その姿を素直に「美しい」と思ったからだ。
以来そのお店には、本当に楽しい思い出しかない。
「モンキーターン3」が物理的にぶっ壊れてて第三停止ボタンを押す度に「係員を呼んでくれィ!」みたいな声が流れるのがずっと放置されていたり。クセが悪すぎて千円で5回くらいしか回らない甘デジで時短消化中に大当り分の出玉が全て無くなったり。あるいは、店内にねずみが出たのをスタッフさんが濡れタオルでシバいて気絶させてるのを目撃したり。または、某媒体の来店取材の日に行ってみると、フロアにその子とオイラしかいなくてすげー気まずくてそっと店を出たり。
仲良くさせて頂いている年上の友達と浅草で飲んだ帰りに「閉店くんやりましょうぜ!」っつって1000円だけジャグラー回しに行ったら二人とも当たって、思わず「やったー」みたいな感じでハイタッチしたり。別のひとらと浅草で飲む時に待ち合わせ場所に使ったら、ハーデスでいきなりPGG引いて全部その人の奢りになったり。
年下の友達とツレ打ちに使ったら「戦国乙女」で100G中に2回フリーズ引いたり。なぜか「熊酒場2」の高設定が放置されてて3日くらい独占できたり。「イタリアの夢」がハイエナし放題で導入から暫く毎日コスれたり。
前の彼女も、今の嫁さんも、生まれて初めてパチンコ・パチスロを打ったのは実はその某店だったり。
この数年間、悲しい時も楽しい時も、疲れた時も逃げたい時も、雨の日も風の日も雪の日も通い続けて、収支的にはボロボロだったけど、思い出だけはたくさん出来た。そしてその間、そのお店のパチスロコーナーの顔ぶれはほぼ変わらなかった。流入も流出もほぼなし。毎日同じ顔ぶれが、同じように同じことをし続けた。もちろんたまに観光客がフラッと入ってくる事はあったけども、常連はオイラが通い始めてからずっとメンバー変更無しだったと思う。
敵がいないのに真っ白に燃え尽きるジョー
2020年某月某日。いよいよ「マルハン予定地」に新しき建物が出来た。数年間更地で放置されてからようやく基礎工事が始まり、そこから1年半ほどでいよいよだ。もはや誰もマルハンが出来るとは思ってなかったけども、出来たのは当たり前に某ホテルの別館だった。
そのホテルの、外観を囲う防塵シートが取り外された日、オイラのマイホは狙いすましたかのようにその歴史に幕を閉じだ。
(あの店はマルハンが開店する日に閉店するつもりだ)
誰が言い始めたか知らないあの噂は、奇しくもある意味で的中だった。もしかしたら本当にそのつもりだったのかもしれないけど、もしそうだとしたら、こんなに美しい幕切れはないと思う。
ネオンが落とされた外観。六区通りのはじっこからでも確認出来た巨大な電光スクリーンにも、もう何も表示されていない。店の前にいつも立ってた、良くわからないオリジナルキャラが両手をあげて「新台入替え!」と言ってる旗も、インチキくさい1000円自動販売機も。全部撤去されてしまった。
オイラにはその姿が、ホセ・メンドーサとフルラウンドで戦い抜いて真っ白に燃え尽きてしまった、矢吹ジョーと重なって見えた。当のホセは浅草に来なかったんで一体何と戦ってたのかもはや分からんけども、それでも全力で戦い抜いた男がまとう、独特のロマンチシズムは充分に感じることができた。
もう二度と邂逅することはないけども、オイラはあの店が大好きだった。
田舎に住んでる頃から「マイホ」は幾つもあったし、そのほとんどが閉店していってるけども。おそらく一番長く、濃密に通ったのは、あのお店だったと思う。マイホとの別れ。これはパチンコ・パチスロ打ちならば何度も体験したことがある事だと思うし、また、永久に慣れることがない、宿業のようなものだろう。
涅槃で会おう。愛しきホールよ。いままでありがとう。
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