ビワコに「全くの未経験者がパチンコライターになるまで」の軌跡を聞いてみた! (2/4)
元旦那のおかげでライターデビュー!?
ターニングポイントも色々あるようですターニングポイントにあった「元旦那に好かれたこと」というのは、東京に出て来る辺りの話ですか?
元旦那のことはそんなに好きじゃなかったんですけど、向こうが「すっごい好きだ」って言ってくるし、自分がフラれた直後だったのもあって「女性は惚れられて付き合った方が幸せになるんじゃないかな」と思ったんですね。
その元旦那が黒夢の清春さんのマネージャーだったんです。それで清春さんの拠点が東京だったので、東京に行くことになりました。だから、彼が私を好きになっていなかったら、東京にも来てなかったでしょうね。
そういう意味では本当にターニングポイントですね。
ただ、私は東京に来てもやることがなかったんです。東京の音楽業界ではやりたくなかったんですよ。
それはなぜですか?
「大阪の音楽業界で一番上まで行ったのを、また東京で1からやる」というのは嫌だったんですね。
それに彼も結婚を考えている、と言っていたので。「次の仕事は何をしようかな」と思いながら家でブラブラしていたら、彼の飲み友達にハセGという人がいて「そんなにパチンコで食ってたんなら、ウチの面接を受けてみる?」って言われたんです。
そのハセGが辰巳の編集部の人だったんですよ。
すごいところでリンクしてますね!
そこから、新宿三丁目の辰巳出版に連れていかれて、当時の編集長と面接したんです。それが必勝本に入るきっかけです。
ダイちゃん→元旦那→ハセじい、大がかりなピタゴラスイッチが完成した瞬間です面接から、そのままライターデビューの流れだったんですか?
そうです。当時の編集長のマエダさんが「君の出身はどこなんだい?」って聞かれて「滋賀です」「じゃあ、ビワコね」って。
やっぱり「琵琶湖=ビワコ」だったんですね(笑)
「ええっ…そんな名前なん…」って思って(笑)
入る前にも雑誌は見ていたんで「もうちょっとカッコイイ名前がいいのにな」って思っていたのに「ビワコなんや…」って。
そして「君は血液型は何型?」って聞かれて「O型です」って言ったら「B型にしといてくれ」って。「血液型も詐称するんや!」って思って(笑)
血液型も設定されていたんですね。
「すごい世界だな」って思いましたね。
でも、やっぱりパチンコが好きだったので「やりがいがありそうだな」とも思いました。
B型設定というのはどこかで活かされていたんですか?
入って2年目くらいの時に記名原稿として自分のページを持たせていただいたんです。そこで「S系のB型キャラでいこう」ってなったんです。
なんか強そうじゃないですか。
我が道を行く感はすごいですね。
本当の性格的には「どうぞどうぞ」って譲ってしまう方なんですけど「キャラ作りは大事なんだよ」って言われていたのと「ライターさんは我が強い人の方が活躍するからB型の方がいいんだ」って。そのことはずっと言われていましたね。
調和とバランスのO型だと…
そう、埋もれるんでしょうね。
「自分が自分が」じゃないと出役もやるライターさんの中では大成しないんじゃないか、というのがその時の編集長の考え方だったと思います。
私自身としても、名前の出ない無記名原稿の方が楽しかったんですよ。ただ、お金が続かなくて。
記名があるなしで原稿料が変わってくるんですか?
いえ、入った当初は先輩方が大きな機種を担当されるんですね。私たちに回ってくるのはマイナーな機種ばかりで、置いてある店を探すのも大変だったんですよ。
しかも打つお金もなかったんですよ。だから色々なバイトをしましたね。その中でも一番の収入源になったのがパチンコ屋でした。
それは店員としてということでしょうか。
そう、店員です。
今は閉店している目黒のあるホールに結構長くいて、ライターと兼業でやってたんです。そこの店長がライターをやってるなら「実戦大変だろうから、夜中にデータ取りをやったらいいんじゃない?」って閉店後に玉を貸してくれて、対象機種が入ってた時だけやらせてくれたんです。そうしたら打ち代もかからないじゃないですか。
あとは、その店長に対して「本当にありがたいな」と思ったのが、釘の叩き方まで教えてもらえたんですよ。
それはすごい経験ですね!
こぼす時はここ、出す時はここを開ける、みたいな感じで店長の横で修行させてもらって。
それから「お前が2シマ担当してみろ」って言われたんです。バラエティーのシマだったんですけど、「割はこれくらいだから、お前のやりたいようにやれ」って言ってくれて。
常連さんがメインだったから、回転率は残して、おまけ入賞をめちゃめちゃ開けたんですよ。そうしたら、回転率が普通でもあんまりお金使わなくて打てるじゃないですか。
地元の常連さんを大事にするタイプのホールの釘ですね。
来られた常連さんに「私があのシマ開けたんです」って言ったら打ってくれたんですよ。「勝ったよー」や「負けたけど、それ程負けなかったからいいよ」って言ってくれました。こういう事に関われたのが楽しかったですね。
「スロットコーナーもやってみるか?」って言われたんですけど、私は顔に出てしまうんで(笑)
でも、すごく楽しかったし、中目黒という土地柄か芸能人のお客さんもたくさん来てましたね。
おお~、さすが東京ですね。
他にも野球選手が来たりとか、その中でも常連だったのがア〇ャ・コ〇グさんでした。
大花火が月1回、1時間設定6が打てる日があったんですよ。くじを引いて、1時間ごとに交代していくんですけど、そこにア〇ャさんもいらっしゃっていて。
その時も、その6のシマがヤカラ、ヤカラ、気の弱そうなおじさん、ア〇ャさんという並びだったんですよ。
すごく何かが起きそうなメンツですね。
そうなんですよ。おじさんがボーナス中のビタ押しを失敗する度に隣のヤカラたちが「ダッセーな!」って煽るんですよ。
「そんなの言わんでいいのにな」と思いながら見ていたら、そのおじさんもしょんぼりしちゃって、その次のターンの時には抽選受けなかったんです。だから、ヤカラたちもライバル減らしのためにヤジってたんでしょうね。
でも、時間を空けておじさんがもう1回来て、また同じ並びになったんですよ。
うわー、またヤカラがやらかしそうな流れ。
そうなんですよ。またヤカラがボーナス中におじさんを煽りだしたんですね。
すると、煽りだしたヤカラをア〇ャさんがにらんで黙らせたんです。それでオジサンの台を隣から直視でビタ押ししたんですよ。
おおおー!かっこいい!!
本当にかっこいい!って思って、しかもビタ押しって横からだと難しいじゃないですか。
台にまっすぐ向かないと難しいですよね。
しかも横で威嚇しながらですからね。
それを見てからア〇ャさんのファンになりました。
それを見たらファンになりますね!
4メートルの金網から飛べるレスラーは実生活でも強かったみたいです話せることがまだまだあるんですけど、そのパチンコ屋さんには思い出がいっぱいありますね。
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