中武一日二膳がライターになったのはノストラダムスの大予言が関係していた!? (1/5)
中武一日二膳
パチスロ必勝ガイドのベテランライター。バラエティー企画には欠かせない唯一無二のゆるめのおじさんキャラながら、目押しのビタ押し職人としての顔も持つ。鉄道好きでも有名。- https://twitter.com/2zen777
パチ/スロ業界に精通した業界人、ライターの皆さんにその成功の神髄を聞く「エキスパート」
今回のエキスパートは
パチスロ必勝ガイドの人気ベテランライター中武一日二膳さんです。
GODおじさん、ビタ押し職人、と様々な顔を持つおじさんライター。その内側に迫ります。
初回は「ライターになったきっかけ」や「交友関係」を伺いました。
小学生から自作パチンコ6年間!?
中武さんの好きなトマトジュース。塩入りがお好みらしいですまずは経歴からお伺いしていきたいんですが、ライターとしてのキャリアは何年目になるんでしょうか?
20年…もう21年か、ああ、丸21年ですね。
アンケートの職歴を拝見すると、色々な仕事をされてますよね。
まぁアレですね。職を転々と…ってやつですね(笑) 定まってなかったっす。
職を転々としていた生活からライターになったきっかけというか、そこまでの流れってどんな感じなんですか?
え~…言っていいんですかね。その18未満の話は。
まぁ際どいところは編集で切っていきます(笑)
(笑) まぁ元をたどると親がパチンコたまにやってて、幼い頃くっついて行ってたんですよ。今じゃ考えられないですけど。
そういう時代だったということですよね。
当時は普通にありましたからね。それでパチンコ楽しそうってところから始まって。でも小学校3年生ぐらいになったら「大きくなったらここ来ちゃダメ」って言われて。
でもすっげぇ行きたくて、ずっとパチンコのことを考えてて。
だから夏休みの小学校の工作も毎年パチンコ台を作ってました。板に釘を打ちつけながら。最初はスマートボールみたいだったのが、1年生2年生3年生4年生5年生と作る度に角度が段々と…
リアルなパチンコ台みたいに直立に近づいていったんですね(笑)
小4の角度がこれくらいらしいです6年生の頃には垂直でガラス着けたりして。そういうパチンコ少年でした。
6年間ずっとパチンコ台を作り続けた(笑)
そうなんですよ、困った子でした。
で、まぁ中学生とか打っちゃいけないけど、打ってないですよ。打ってないですけど、ずっとパチンコ打ちたいなぁと思っていて。18になったらもう俺行くんだって、なった途端に行くんだって心に誓ってて。
だけど中学生時代に我慢できなくて…。でも学校が坊主頭って決まってたので、それで打っちゃうと中学生ってバレバレだから。
まあ、バレますよね。
それからしばらく経って、髪の毛伸びてきた頃にもうバレねぇと思って(笑) 行っちゃったんです。
もうそれからですね。どっぷりです。
どっぷりと(笑)
どっぷり。
始まりはスロットではなく、パチンコだったんですね。
はい。昔はそういうパターンが多かったです。まあ、ビギナーズラックっていうのにやられまして、それからしばらく勝ち続けたんです、1週間ぐらい。
まぁ2,3千円とかですけど「パチンコあぁ…美味しいなぁ」と思ったんだけど、いずれ負けるじゃないですか。
ビギナーズ期間が終わった、と。
そしたら、「いやこんなはずはない」って言って(笑)
ハマる人のパターンですね(笑)
やってる内に「あれ?」っていう。それで勝ち方あれこれ考えるようになってパチスロを打つようになって、それでモーニングにたどり着くっていう。
モーニング、ありましたね。
はい。あれ入ってるってことが分かって、毎朝モーニングを取りに行くようになって、それからは毎日打つようになってましたね(笑)
気付いたらそれだけで食っていくようになってました。だけどやっぱ世間的に何かしなきゃいけないかなと思ってこうやって職を転々としたわけですよ。
結局攻略法だ何だっていうのをやれるようになって、もう食えるようになっちゃったもんだから、もういいやこれで、っていう流れで(笑)
流されちゃいましたね(笑)
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