アニマルの連チャンは大学の単位より大事だった!?パチンコ熱狂の歴史を振り返る

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ウエノミツアキ的パチンコ&スロット熱狂の歴史・前編

 

パチンコとスロットを打ち続けて36年ほどになるのですが、ずーっと同じテンションで続けてきたわけではなく。我を忘れるくらいに打ちまくるときもあれば、暇なら打っちゃうくらいのときもあるわけです。

 

それでいうと今は正直、熱中することはなく、興奮もせず。かといって冷淡にはなれず、平静も保てずに、冷静と情熱の間というよりはやや情熱を持って寄り添っています。

 

具体的に言うと、暇になると浮き足立ち気味にパチ屋へ向かって、静かなる華を凝視し、光ると脳内に何かがふわーっと広がる感じで気持ちよくなっております。

 

えぇ、そこそこ依存です。はい。

 

まあ、人生の4分の3近く続いている"趣味"ですから止めることはないでしょうが、できることなら忘我と熱狂をもたらしていただきたい。お願いですから、狂おしいほどに熱くなれるマシンを生み出していただきたいわけです。

 

そこで、どんな機械がウエノの頭をおかしくしたのか、何が心に刺さったのか。そして、生活がどのようになったのかを書き連ねていきたいと思いますので、メーカー開発の方々は参考にしてみてください。

 

……参考?

 

えー、人生で最初に打ったのは羽根モノの初代『ビッグシューター』だったのですが、初めてハマったのは一発台の『スーパーコンビ』でした。

 

3つ穴クルーンの手前に玉がひとつ落ちるだけでこれほどまでに興奮できるものが世の中にはあるのかと開眼し、時間を見つけてはというよりも、時間をこじ開けてまでパチ屋に通い詰めました。

 

しかしまあ、時間はこじ開けられたとしても、カネは湧き出てこないわけで。オケラになると酷く落ち込み、「もう、二度とパチンコは打たない!」と心に誓いました。でも、寝て起きるとどうにかこうにかカネを作って、パチ屋に並んでいたのです。「パチンコあるある」の始まりですね。

 

ちなみに36年間、負け続けており。当然、借金をこしらえることもありますが、首が回らないほど借りることはありません。そこは防御本能が働くというか、破産する前に止める……わけではなく、破産しそうになったらバイトでも何でもしてカネを作って再びパチ屋へ注ぎ込むといった特殊能力の持ち主なんです。父さん、母さん、ありがとう!

 

……そこ?

 

えー、私がボーン・トゥ・ビィ・養分なのはさておき、「もう、二度とパチンコは打たない!」とか言っても、絶対にまた打つ自分に気付き、悟りを開いた私は甲府駅前のパチ屋でオケラになって外に出た瞬間、天を仰いで誓ったのです。

 

「もう、パチンコを止めるのを止めよう……」と。

 

本当の意味でパチンコ&スロット人生が始まったのはこの瞬間からでしょうね。えぇ……と、『スーパーコンビ』の思い出だけでこんなに書いていたらいつまで経っても終わらないので、後はざっくりと書き並べていきます。

 

その後、東京の下町・西新井に引っ越した私はマンションの10階に住んでいたのですが、エレベーターを降りて真っ直ぐ進んでいくとパチ屋に入って行くという好立地により、位置エネルギーをそのままパチンコの玉に乗せて一発台の穴に飛び込ませるという攻略法を実験する日々を送り始めました。

 

最初は『ターゲット』で試していたのですが、抜けても回転体に5つ穴があるため、効率が悪い。そこで『パンドラ』という、かまぼこ形の頂点にあるV穴へ玉を入れるだけという一発台にシフトしました。一撃2万円だったので当然のようにハマり、たくさん当たると友人を呼び出して銀座へカニを食べに行き、負けると米を炊いてバター醤油ごはんを気持ち悪くなるまで食べる。つまり吐き気を催して食欲を減退させるといった方法により、窮地を脱しておりました。世のホルスタインたちよ、ありがとうございました。

 

高円寺に引っ越した後、私を狂わせたのは初代『アレジン』。ピュイからのデンデケデーンが「コレ、壊れたんじゃないの?(涎)」ってくらいくり返されることで入るトランス状態にやられました。毎朝、近所のパチ仲間(かつバンド仲間)といわゆる"モーニング"を取りに行き、刺されば昼から焼肉か寿司、負けたら部屋に戻ってジャリ銭を集めて500円くらいのハンバーグ定食で空腹を満たすという毎日でした。あの世へ旅だった肉牛たちよ、ありがとうございました。

 

佐渡まで打ちに行くなど、旅打ちに目覚めたのも初代『アレジン』のおかげです。ありがとう、藤商事!

 

大学は馬場にあったのですが、改札を出るとついさかえ通りへ向かってしまい、ついスロ専に入ってしまい、1万6千円を下皿に置いて打ち始めてしまっていたのは『アニマル』でした。

 

「吸い込み方式」と呼ばれるもので、800枚=1万6千円分のメダルを入れれば必ず当たり、(当時は詳しい中身は知らなかったのでざっくりと)クレジット内で連チャンするといったわかりやすいシステムに魅了されて設置店の噂を聞いては駆けつけておりました(ネットとかなかったので人づてが情報源の時代)。

 

一応、撤去対象になった後だったので設置店は限られていましたが、それでも数店舗は把握しており。中でも馬場のさかえ通りにある小さなスロ専の2階すべてが『アニマル』という店にはよく行っていました。

 

大学1年の前期終わり間際のこと。いつものように馬場へ行ったのに校舎へは行けず、天井へ向かってまっしぐらに千円札を投入していると、同級生が急に現れて言ったのです。

 

「『今日、講義に出ないとさすがに単位は上げられない』って教授が伝えに行けと言うから来たんだけど……さすがに出ようぜ」

 

ちなみに当時は携帯電話がなかったので、歩いて15分くらいかけてわざわざ来てくれたのです。それには感謝しましたし、「過去に1、2回出ただけの講義なのに、何で?」と疑問が湧きつつも、「そこまでしてくれるのならさすがに行くか……まあ、逆に言えば、今回行けば単位をもらえるなんてラッキーなことじゃないか」と一瞬だけ考えましたが……いやいや。

 

「ごめん。もう9千円入れているんだよね。ちょっと行けないわ」

 

いやいやいや、ウエノ君。あと7千円もあるし。今まで入れたカネが無駄になっても単位を取るほうが大事じゃないの? ねぇねぇ?

 

同級生「おいおい、さすがに行ったほうがいいって」

ウエノ「うーん……」

 

9千円+無限の連チャン>>>>大学の単位。

 

ウエノ「すまん。やっぱ、無理」

 

結果、単位を落とした上に、連チャンは2連で終わりますよね。案の定とはまさにこのこと!

 

まあ、出席日数20日あまりで獲得単位49にて大学は中退しましたが、のらりくらりと50歳まで生きてこられたことからして、私の選択は間違っていなかったと言わざるを得ないというか、間違っていなかったと思い込むしかないというか、間違っていなかったと言ってよ、神様!!

 

えー、他人には迷惑を掛けていませんが、家族は失望させるレベルの依存で間違いありません。はい。

 

そんなこんなでフリーダムになった私はしばらく違う博奕を主に興じることになり、次に熱狂したとまで言えるPSはスロの"B"ということになるのですが、長文になりすぎたので続きはまた次回にしましょう。

 

……次回?

 

次のコラムは夏頃になりそうですが、それまでに忘我するほど熱狂するマシンが出てきたら、そちらの話を優先します。ていうか、出てきて! 頼む! 我を狂わせたもれ!!

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