ガリぞうのパチスロ専業生活に迫る!北海道での立ち回り方やタイムスケジュールを聞いてみた! (1/4)
ガリぞう
北海道出身のパチスロライター兼パチスロ生活者。パチスロについての自作サイト運営から、漫画原作者およびライターに。漫画「プロスロ」は16年の長期連載に。現在は実稼動経験と豊富すぎる知識に基づく勝ち方、打ち方で魅せる動画で多くの支持を集める。特にジャグラーに関して圧倒的なノウハウを持つ「ジャグ神」- https://twitter.com/garizo2
- ガリぞうYouTubeチャンネル
- https://www.youtube.com/garizo1
「エキスパート」ガリぞう編、第2回です。
今回は「現役パチスロ生活者」のガリぞうさんに、地元北海道でのリアルな稼動の仕方をお聞きしました!
「専業」の産みの親ガリぞうが「パチスロ生活者」を名乗る理由
気軽に使ってた「専業」というワード。始祖がここにいらっしゃいましたここからは、「プロとしてのガリぞうさん」にお伺いしたいのですが、ご自身のことはよく「パチスロ生活者」と仰っていますね。
あははは!そこが刺さるんですね(笑)
多分、知っている人もそんなにいないと思うんだけど、私の一発目のホームページタイトルが「スロットプロへの道講座」っていうタイトルだったんですね。
もう、今思えば恥ずかしいタイトルなんですけれども(笑)
端的な表現だと思います(笑)
当然のように、世間様からも何かしら揶揄されることもあるんですよ。
「税金も納めてないのにプロを名乗るのは何事だ!スポンサーはいるのか?」とか。
それを言われるようになってから、稼働収入も税金を納めているんです。
稼働収入も納めてるんですか?
そうですね。それでも「プロ野球とかに比べると、プロと名乗るのはおこがましいかな」というのが自分の中でもありました。それが20年くらい前の話ですね。
「プロっていうのは良くないよね。しかもそれが『パチスロ』で検索したら一番最初に出てきちゃうサイトで喧伝するのは良くないんじゃないかな。どうしたらいいかな?」って仲間内4~5人で話していたんですね。
すると、その内の一人が「じゃあ『専業』ってどうですか?」って。
そこから「専業」が?
今では結構ポピュラーなワードになってますよね。
経緯を知らないで普通に使ってましたね。
だから、その頃から「専業」って書くようにしたんですね。「少なくともプロじゃないし、『プロ』とは呼ばないワード」を作ったんです。
でも、ある程度浸透してくると「『専業』なんて名乗って、カッコつけるんじゃないぞ」と(笑)
そう言われないための「専業」なのに(笑)
プロっていうのをやめたから、わざわざ「専業」を用意したんですけど…って(笑)
そう思う人もいるのかと。「じゃあ、どう言えばいいんだろうな?」ってなって、再度思い直し始めたのが6~7年くらい前ですね。
その頃、新たに「パチスロ生活者」っていうワードをしのけんさんが作ってくれたんですね。「よし、それをちょっとパクろう!」と(笑)
では、今は色々と経た上での「パチスロ生活者」ということですね。
そうですね。色々あって、今はパクっている状態です(笑)
パクらせていただいてますガリぞう誕生のきっかけは借金500万!?
打ち始めた頃はどんな台を打っていたんですか?
パチスロを打ち始めたのは1.5号機のパルサーXXΣって、まだパチスロにクレジット機能さえついてない時代ですね。
BIG中も毎ゲームコイン入れて、だからコインがストップボタン3つ押したらクレジットがないので全部下から出てくるっていう。
なかなか忙しい台ですね(笑)
その頃からもう勝ててたんですか?
いや!全然ですよ!ガッチガチのパチスロ依存症でした。
ガッチガチでしたが、勝ててはいなかったそうですガッチガチ(笑)
では、専業になろうと思ったのはいつ頃なんですか?
24歳になったくらいの頃ですね。
当時いろんな仕事していたんですよ。電気屋さんとか佐川もいきましたし。それで最後に行きついたのが携帯電話の営業回りの仕事だったんですよね。
それは先ほど話していた「景品の話」ですか?
それは、また別の訪問販売ですね。
携帯電話の営業をやっていた時は、全国チェーンの営業会社でした。たまたま東日本の営業成績が2ヵ月連続でトップ取れたんですね。
「あ、これは一人でやれるぞ」と。当時23歳、若かったんでちょっと勘違いしちゃいまして。そこから仙台で同じような会社を自分で作ったんですよ。社員さんも5人くらい雇って。
結果、「営業と経営とは全く別物だ」という事をまざまざと教えられまして。
これが「ターニングポイント:24歳自営業の失敗」ですね。
そうですね。本当にもう、典型的な失敗でしたね。
仕入れ価格よりも安く売ることの連続でしたもん(笑)
どんどん赤字を積んでいく流れですね。
色々ありましたね。550万借金を作って、仙台から北海道に逃げ帰ったのがターニングポイントですね。
最後の1、2ヵ月ぐらいは「営業で作った借金をなんとかスロットで返せないかな」って(笑)
万枚が25回は必要ですね。
そう、500万なんてすぐに返せるわけないんですよ!(笑)
でも、もう頭がおかしかったんでしょうね、やられちゃってたんでしょうね。結局その頃から稼動の助走が始まっていたので(笑)
ではそこでスイッチが入ったと。
今思えばターニングポイントって書いた通り、「あの失敗があって良かったのかな」ってちょっと思うところはあります。
最近私のことを良く言ってくださる方が増えたんですけど、そういうところで調子に乗ると「また痛い目見るぞ」って学んだので。
おそらく私はこの後の生涯で調子に乗ることはないですね。
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