伊藤真一誕生秘話!実は本名じゃないライターネームは語呂で決まった? (2/4)
最初は動画に「出たくなかった」!?
動画に出るのが遅かったのには理由があったようです動画に出始めたのはライターになってからどれくらいの頃なんですか?
ライターになって伊藤真一という名前がついたぐらいの時にパチテレの立ち回り系番組に出たのが最初ですかね。
ただ、収録といっても設定は入っていないですし、僕としては「こんな状態なら自分で稼働してる方がマシだな」という感覚もあって。
動画に出ることは本意じゃなかったんですね。
「出ろって言うから出てるけどさ、ギャラ的にも全然割に合わないし、設定も入ってない店で『あいつツモれなかったじゃん』って言われるのって俺らに何のメリットがあるの?」みたいな気持ちがありつつでした(笑)
トガってますね(笑)
さすがに動画内では言いませんけど、心の中で思ってはいました。
なので、それ以降は動画の出演依頼があってもやんわりと断るようになりまして、それを続けていたらオファーが来なくなりました(笑)
それが「オレ勝!PRO」ですか?
あー!そうです。よくご存知ですね。すごいです!
いや~、イトシンさんを「プロフェッショナル」っぽくまとめていたパチテレの「イト神」を拝見しまして。
そこで初めて動画に出た頃のイトシンさんのVTRがあったんですよ。
(当時の番組の画像を見せる)
あ~!これか!うわ~、若いな!!
あの頃だと30歳くらいでしたね。
今はおいくつなんですか?
今49ですね。
では、動画デビューが18~19年前になるんですね。
そうなりますね。元々、田山(幸憲)さんやしのけんさんに憧れる部分があってスロットだけで生活しようと思ったわけですけど、その生活を続けていくうちに「あっ、これは一生続けられない。あの人達みたいな覚悟は持てないや」ってことに気が付くんです。
その結果、この業界に紛れ込むわけですけど、ライターになってみたらプロのポジションを求められて「いや、俺はそれを続ける覚悟がなかったからここに来たんだけどなぁ」と思う部分もあったりしました。
ただ、そう思うのと同時に自分の中ではスロット生活を真剣にやっていたからこそ覚悟が持てないと気が付いたわけで、ライターになっても「そこそこはデキるぞ!」という気持ちは持っていました。田山さんやしのけんさんにはなろうと思えなかったけど、その辺のやつらには負けないでしょという感じですね。若気の至りです(笑)
ライターになって、伊藤真一という名前をもらった時に「いつかしのけんさんみたいになってやる!」みたいな将来的な目標はあったんですか?
そういったものはなかったですね。
パチンコ・パチスロだけで喰っていこうとするのは諦めてコチラに来てますから。
先ほども仰られていましたね。
これは技術的にというよりも構造上の話ですね。
大半のお客さんはギャンブルだと思って打ちに行くのに、そのホールで勝ってる僕たちは仕事だと思って行くワケですよ。
そういうギャップのある状態がいつまでも続くなんてちょっとおこがましいんじゃないかと思うんですよね。
そのギャップが埋まっていけば、いずれ無理が出てくるということですね。
要するに自分たちより知識がない人たちのおかげで生活できるというか、いわば掠め取っているわけじゃないですか。
それが一生続くなんてそんなハッピーな世界はないですよね(笑)
「そんなウマい話があるか?」と言われると、たしかにそうかもしれませんね。
自分たちの代わりに負ける人が必ず存在するわけじゃないですか。それを前提に一生食おうなんて、ちょっと無理があるだろうって考えていました。
少なくとも田山さんやしのけんさんはその構造上の矛盾を飲み込んでいたと思いますけど、自分はその覚悟は持てなかったです。「だったら違う方法で生活していかなきゃな」と思ってましたね。
その落としどころがライター転向だったんですね。
ただ、ライターの仕事でもガチ系のことを要求されるので、そこに折り合いをつけるのはちょっと難しかったですね。
仕事として勝ち方を伝えるんですけど、本心では「皆がこれをやったらどうなりますか?」って思いながら書いてましたね。
だから、最初はライターとしてパッとしなかったと思います。「皆こうしろ!」って声高に叫ぶタイプでもなかったので。
では、誌面ライターと動画演者だと本当にやりたかったのはどちらになりますか?
う~ん、どっちなんですかね~?
今は「ガチっぽいことを伝える無意味さ」を考えてしまうところもあるので、動画を見て楽しんでもらえるのが1番ありがたいですかね。
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