沖ヒカルに聞いた「麻雀」の話!対局歴20000戦のネット麻雀やプロ雀士としての活動とは? (2/4)
プロ雀士沖ヒカル誕生のきっかけ、そして「D3からの卒業」とは!?
日本プロ麻雀連盟所属のプロ雀士にお越しいただきました沖さんは現在、プロ雀士として活動されてますが、プロになられたきっかけって何ですか?
それは麻雀店で働いてる18の時から、なんなら高校の時から麻雀のプロになりたかったんですね。
21歳ぐらいの時に最高位戦(最高位戦日本プロ麻雀協会)のプロ試験を1回受けて、そこで落ちたんですよ。当時は今みたいに「一通り無難にできたら一旦合格」っていうシステムじゃなくて、一通りできた後にちゃんと半荘4回をトーナメントで打って、その上位何%しか合格できない。
今はそれこそ日本プロ麻雀連盟だとEリーグってA~Eまで全部で12段階くらいあるんですけど、僕が受けた当時はまだAとBしかなかったんですよ。そういう時代に一度、最高位戦に落ちて、そこから十何年離れてて、白夜書房時代の頃には遊びの三人麻雀ばっかりずーっとやってたんですね。
なかなか狭き門だったんですね。
でも、そうこうしているうちに、MONDOとかに出てる滝沢(和典)さんとか、(佐々木)寿人さんとか二階堂姉妹とかと、こっちの業界が繋がるようになってきたんですよ。そしたら、やっぱりもう1回チャレンジしたいと思って、7、8年前に最高位戦をもう1回受け直して、プロになって5年間やって、「次は(日本プロ麻雀)連盟だ」ってなって(笑)
今、日本プロ麻雀連盟で2年目くらいになったってことですね。
プロの活動っていうのは何かあるんですか?
「プロの活動」っていうのは僕はしてないです。リーグ戦だけですね。
だから「プロとして先生をやってる」とか「ゲストに呼ばれる」とかは何もやってないです。
ただ、今後は麻雀の活動もやろうと思ってましたね。
「ました」というのは、今の自粛などの時期的な事情ですか?
いや、リーグ戦を昇級したら、そこからやろうと思ってます。
プロの活動にも期待です。ロワイヤルでも仰っていた「D3の番人」からの卒業ですね。
D3の番人をまずD2に上げて、そこからちょっとずつ増やしていこうと思ってたら、大チャンスのリーグ戦の時にかぎって残留(笑)
悲しいぐらいな結末で残留しちゃったんで、また保留というか。
動画でも仰っていた「本気で上がろうと7年間で初めて下調べをやった」っていう。
そう!それそれそれそれそれ!それが肩透かし喰らったあの日。忘れもしない1月12日。
リーグ戦って1年に何回あるんですか?
月1です。月1で5回なんです。
その成績上位が上のリーグに上がっていく。
上位何%とかが上がっていって、下位何%かが下がる。
すると1年に何度か入れ替えが行われている、ってことですか?
年5回ですね。
では、今回その昇格チャンスを逃してしまって。
逃して、また次の5回に行かなきゃいけない。5回っていうのは1日4半荘なんで、20半荘なんです。
ただ、僕の場合はリアルなリーグ戦もですけど、それよりも大事なのはネット麻雀なんですよ。
それが、「ロン2」。
そう。今はそれオンリーですね。
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