HYO.が演奏から配線まで担うバンド「LAST ORANGE」の結成~全国ツアーまでを語る! (3/3)
「LAST ORANGE」結成~全国ツアー裏話!
ミュージシャンにインタビューしていきますここからは音楽やバンド「LAST ORANGE」のことを伺っていきます。嵐さんに昨年のツアー中にインタビューさせていただいたんですが、ドラムをやるきっかけが「体型がドラムっぽいから」だと仰ってました(笑)
そうですね(笑)。僕、嵐さん、梅屋くん、松真ユウ、矢野キンタ、他にも数名いた飲みの席で、松真ユウが「バンドやりませんか?」って誘ってきたんで「ああ、いいよ」って言ったんです。
僕はベース、松真がギターボーカル、矢野キンタが酔っぱらった勢いでギターをやるって言ったんです。それでドラムをどうしようかと思ったら向かいに嵐さんがいたから「やれよ」って言ったら「わかったよ」って(笑)
梅屋くんも誘ったけど「ギター難しいからやらない」ってことだったので、4人で始めました。
その場でメンバーと担当楽器が決まったんですね。
そこから1年くらい特に何もなかったんですけど、嵐さんが練習できるように曲を作ったり、新しいメンバーが入ったりして、ちょっとずつバンドっぽくなりました。
最初は本当にひどいもんでしたよ。
それでもライブをやろうとHYO.さんが引っ張っていたそうですね。
みんな引っ張ってくれたって言ってますけど、引きずり回してました。
ちょっと意味合いが変わってきますねライブをやろうと思ったきっかけは何ですか?
スタジオに月1回くらい入って終わったら酒飲んでってよくあるんですけど、ある時「これで終わっていいのかな?」って思ったんですよ。
それで打ち込みを多用して、ドラムの負担を下げつつクオリティーが高いものを作ったら、何とかライブができるんじゃないかと考えてシステムをゼロから作ったりしました(笑)
システムからというのはすごいですね。
さらにそこからライブハウスで打ち込みと一緒にやるためには何が必要か調べて、機材も全部揃えて全国ツアーも提案しましたね。
すごい行動力ですね。ツアーはいかがでしたか?
みんなライブを1回しかやったことがなかったので、最初はボロボロでしたね。
その後、名古屋と福岡に連れて行って、北海道に行ったあたりで何か吹っ切れたんですよ。結構いい感じになってきて楽しんでました。
吹っ切れるとパフォーマンスも変わりそうですね。
違いましたね。最初はみんな下を向いて演奏してて、僕もあんまり怒らないようにしてましたけど、できることなら怒鳴りつけたいくらいでした(笑)
グッと堪えてたんですね(笑)
ただ、「お前らのためにライブをやってるんじゃない。お客さんのためにやってるんだからそっちを見ろ」っていうのは口を酸っぱくして言ってました。
まあ、それもすぐに変えていくのは難しいじゃないですか。
場数を踏んで慣れていくしかないですね。
僕は中学生くらいからずっとバンドでライブをやってて、その時から「チケットがいくらかよく考えてからライブをやれ」っていうのは言ってました。
友達に来てもらおうがなんだろうが、その分の価値は生み出さないといけないんです。そこのスタンスは変わらないですね。
今のバンドも最初の頃は「トークが恥ずかしい」とか言ってましたけど、「あくまで趣味なら0円で客を入れなきゃいけない。だからそこはちゃんと自分で踏ん切りつけてやらないとダメだ」って伝えてました。それができ始めたのは後半の方でしたね。
みなさん普段はカメラの前で話されてますが、ライブの時のトークは全く別物なんですかね?
僕は全く緊張しないんですけど、みんなするんですよね。嵐さんなんてパチスロ動画撮るときも緊張してますし。
そうなんですね(笑)
たまに手が震えてたりします。本当に石みたいにドラム叩いてますからね(笑)
地蔵スタイルですね(笑)
LAST ORANGEのブランコはガリぞうさんがプロスロのエンディングに使われてますね。
あれ嬉しかったな~。
ちなみに楽器は全パートできるんですか?
できますね。でもそれには理由があって、中学生の時にギターを買って、高校生でギターボーカルになって、色々活動してたんですけど、その頃の僕はなぜかメンバーにめちゃめちゃ厳しかったんですよ。
歌はある程度うまかったんですけど、リズムに関することとかを逐一指摘しながらやってたらメンバーが全員いなくなって1人になったんです(笑)
方向性の違いってやつですね(笑)
でも1人になってもやれるんです。いないパートは自分で作ればいいので、打ち込みで全部のパートをやれるようにしたんです。
東京に出てきてライターの仕事をしながら友達とバンドやってた時も、打ち込みをやったりレコーディングのやり方を教わったり、現場に行ってマイク立てたりしてました。
それは団地妻力美の頃ですか?
※団地妻力美:2014年に解散したバンド。HYO.は上條智史名義でVo.&Gt.を担当。バンド名には「団地妻のように妖艶で、力強く美しいバンドになるように」との願いが込められている。
そうです。結構裏方の仕事も手伝ってて、その知識があるおかげで今は何でもできますね。
LAST ORANGEでも現場で配線から同期はこれ、この音はこのイヤモニに返すとかもやれるので、これはさすがに僕じゃないとできないなって思ってます(笑)
裏方もできるほど色々活動されてきましたが、HYO.さんの音楽の原点はどこにありますか?
やっぱりラジオですかね。中学の時に千葉から仙台の山奥に引っ越したんですけど、娯楽が何にもなかったんですよ。テレビもやってなくて、ラジオがギリギリ入るんです。
そこでデヴィッド・ボウイを聞いた時に「なんだこれ!?」って思って、自転車で40分くらいかけてTSUTAYAにデヴィッド・ボウイを探しに行きました(笑)。そこから本当に色んな曲を聞き始めましたね。
「エキスパート」HYO.編 第2回でした!
転んでもただでは起きないHYO.さん。バンド仲間との方向性の違いを経験しながらも、持ち前の行動力で今では裏方仕事まで何でもこいの立派な武器を身に着けていました。
LAST ORANGEの公式ファンクラブ「ORANGE+」では会員限定の特典もたくさんあるそうなので、気になる方はチェックしてくださいね。
次回はパチスロのお話!リノの3択や政宗の6択が得意なHYO.さんにカードを使って3択チャレンジをお願いしました。
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