ポロリが自宅で発見した387万円はどこにあった?新人ライター時代と23年間住み続けている家の話 (2/4)
ライターポロリは食えてない!?
ベテランにも若手時代はありましたガイドに入って最初の仕事がいきなりガイドの名物企画「91時間バトル」だったそうですね。
※91時間バトル:パチスロ必勝ガイドの看板企画の1つ。ある1つの機種を7日間、7人のリレーで実戦する
当時のガイドの花形企画でなかなか新人が出れるような場所じゃなかったんですけど、先輩のコホさんがちょうどその時に体調を崩して「誰も空いてないぞ」ってなったんですけど新人はヒマじゃないですか。
それで「お前いけるか?」って話になりました。
それで、データ引継ぎをした次の担当がアニかつさんですごくビビッたとお聞きしました。
そうなんですよ!めちゃくちゃ緊張しましたね!
まともに話したこともないようなド新人に「どの台がいいの?」って聞かれても「いや~」としか(笑)
当時の仕事の環境はどんな感じだったんですか?
誌面作りのサポートがメインですね。
当時はデータ取りというのがあって、新台がホールに入ったら、4~5人で朝から並んで打ってデータを取っていくんです。そのデータをまとめて編集部に送るという仕事でした。
その時に小役の数もカウントしてましたね。昔はメーカー発表値なんてなかったですから、実戦から逆算するという形でした。
メーカーから解析が出るような時代ではないですからね。
そして、初めてデータ取りに行けと言われたのは「グロリアハーツ」だったんです。タコスロの後継機と言われたシベリアーナの兄弟機なんですけど。
そのデータ取りをする裏で「ポロリがウルトラマン倶楽部のCT-MAXができるというのがウソかもしれないからチェックをする企画」が動いていて、カッパ君さんとドラゴン広石さんの間に挟まれた状態でデータ取りをしていたんですけど、その時にお2人にビタ押しチェックされていたそうなんですよ。
だから、一応データ取りとしても打つけど、横では新人の目押しをずっとチェックされるというすごい変な状態でしたね。
左右から先輩にチェックされるのはプレッシャーがすごいですね。
当時のガイドはそういうお茶目な企画が多かったですね。
例えば、CCエンジェルという台があって「思い込みでボーナス確率をクリアすることができるのか」という企画で、片方は「設定1と聞かされて設定6」を打ち、もう片方は「設定6と聞いて設定1」を打ったら、設定1は最初の2時間思い込みで出るんですけど、その後はどんどん負けていきましたね(笑)
たしかに、ポロリさんの「隠れチェック」もガイドっぽい企画ですよね。
マジメな雑誌だったら「実機を使って目押しが何%かやってみよう」だと思うんですけど、ガイドはそんなのじゃないですからね(笑)
新人からガイドの洗礼を受けていたようですちなみに、「ライターポロリとして食っていける」と思ったのはいつくらいですか?
いや、それはなかったですね。「スロットで生きていけるからライター業がやれている」という感じでした。
当時は仕事で実戦する時、時給として1200〜1300円くらい出ていたんですけど、それよりも普通にスロットを打っていた方が稼げていたので「ライターの仕事をしてお金がプラスになる」という感覚はゼロでしたね。
プロをされていた方から「ライターの仕事をするほどお金が減っていた」というお話はよく聞きますね。
ただ、パチスロ生活を1年やって思ったのは、あまりにも生産性がないんですよ。
やったことのある人はなんとなくわかると思うんですけど「朝起きてスロットを打ってメシ食って帰って」を一生繰り返すんですよ。
たしかにハードなループですね。
そして、ホールで一応話せる友達もできて一緒にメシを食ったりもしますけど、そこにも何一つ生産性がないじゃないですか。
そういうのもあったり、自分の知っていることとかをライターとして発表できる場所が欲しいと思っていたのでライターを希望したんです。
だから「ライターで食っている」という感覚はなくて、やればやるほどお金が減っていく感じでしたね。
その感覚は20数年経った今でも変わらないですか?
そこは途中で変わりましたね。一番変わったと思ったのは広告規制が入ってライターの来店が増えてきたときです。
だから、ライターを始めてからかなり後になります。
そして、変わった理由としては昔パチンコが5回リミッターがあったのはご存知ですか?
※5回リミッター:90年代後半に射幸性の高い機械や裏ロム機の撤去に伴い導入された規制。文字通り6連チャンしないという夢が見れない仕様
ありましたね。
あの時パチンコの人気がダダ下がりになったじゃないですか。
それでも自分はパチンコが好きだったし、もっと盛り上がって欲しいと思っていたんですけど、田山さんは「パチンコはそんなに良いものじゃないよ」というスタイルで「業界を盛り上げよう」というようなことを言うタイプではなかったんですよ。
むしろ「パチプロなんてなるもんじゃない」っていうくらいなんで(笑)
「社会に貢献していない」というくらいですからね(笑)
でも、自分自身としては「パチンコが落ちてる時こそもうちょっと業界を盛り上げる方向に行ってもいいんじゃないかな」とは思っていたんですよ。
そうして、スロットも規制が入って落ちていくとなった時期に「あの時思っていたことをここでやるんだな」と思って、そこでライターとしてやっていこうと切り替わりました。
それまではスロットの稼ぎがなかったら本当に生きていけないから「現場感」を何より大事にしていたのに、切り替えたことで「現場を離れる感」がすごく強くて、ある意味「自分の賞味期限」を自分で決めた感じですね。
プロとしては「現場感」は必須ですからね。
結局、俺は実戦の中でやってきた知識や発見したことを記事にするという生活をしてきたし、TVに出てる時もそういう情報を伝えようと思ってやっていたんです。
でも、実戦から離れていくことは今まで積み上げてきた貯金を切り崩していくような、ライターとして出していけるものがちょっとずつ減っていくという生活になっていくんだなと思いましたね。
でも、あの時田山さんに思った気持ちを実践する時だと思ったからそういう選択をしました。
ライターとして出し尽くす時が来るかもしれない。
だから、変な話ですけど、最近は自分のことを「老害」と言うようにしているんです(笑)
実際、業界の中でも「老害」だと思っているし、新しい何かを作っていくというよりは業界がこの先どうなっていくかを見ていく立場が今後の自分の立ち位置だと思いますね。
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