元ライターのユニバ社員小野Pに転職のきっかけやユニバカ裏話を聞いてみた (2/3)
ライターからユニバーサル社員に!
家族の深イイ話も聞けましたライター歴が14年半と長いですが、手応えをつかんだとか、やれるなと思ったのはいつ頃ですか?
周りが認めてくれた時っていうのもあるんですけど、おじいちゃんの言葉がすごく後押しになりました。
少し話が脱線しちゃうんですけど、僕のおじいちゃんは学歴も高く人間的にも出来た人で、周りからも評判が良かったんです。だから「あんなに頭の良いおじいちゃんがいて、従兄弟も隔世遺伝で頭が良くて医者になったのに、僕はなんでデキが悪いのかな」って劣等感を抱えてたんです。
ある時田舎に帰った時に、無意識にスロマガを持って行っちゃって、「おじいちゃんにパチンコ打ってるなんて言ったらめちゃめちゃ怒られるだろうな」って思って隠してたんですけど見つかっちゃったんです。「なんだ、お前パチンコ打つのか?」って聞かれて「あ~ヤバいな…」って思ったらその場にいた叔母さんが「お父さんもすごい好きだったもんね、パチンコ」って言ったんですよ。
意外な展開ですね。
はい。びっくりして「おじいちゃんパチンコやるの?」って聞いたら、「軍艦マーチから蛍の光まで打ってた」って言うんです。それってつまり開店から閉店までってことじゃないですか(笑)
ガッツリやってますね(笑)
詳しく聞いたら、おじいちゃんは静岡のとある市街で初めてスーパーマーケットを取り入れて経営してたんですけど、そのお店の裏にパチンコ屋があったそうなんです。
そこのオーナーさんがよく買い物に来てくれて、「小野さんもたまには打ちに来てくださいよ」「じゃあ今度ね」みたいな社交辞令を言ってたんですけど、お店が軌道に乗ってきた時に「せっかくだからやってみるか」って感じで行ったらドハマリしちゃったそうです。
それをライター5年目くらいの時に初めて聞いたんですけど、信じられなかったですね。
怒られると思ってたんですもんね(笑)
おじいちゃんの頭の良いところは従兄弟にいったけど、パチンコ好きは確実に僕にきてるなと感じたんです。そこで観念して、正直に「実はパチンコ関係のライターの卵というか、編集のお手伝いをさせてもらってるんだ」っていう話をしたら、穏やかな表情で「そうか。頑張りなさい」って言ってくれました。
それまでは顔出してるわけじゃないし、優秀な文章書いてるとも思ってなかったんですけど、おじいちゃんの言葉で意識が変わって、初めてライターとしての自覚が出たというか、「もっと頑張らなきゃ」ってやる気と自信が出ました。ちょっときっかけが変わってるんですけどね。
家族の理解というのは大きいですよね。
そうですね。僕の中でやっぱりどこか後ろめたいっていう部分があったので、ちゃんとカミングアウトして、自信を持って生きるようになりました。
スロマガライターを経てユニバーサルに入社したきっかけは何でしたか?
きっかけは結婚して子供が産まれて、嫁に「そろそろ就職しないの?」って言われたことですね。
嫁は僕の仕事にすごく理解があったと思うし、ずっとやらせてもらったんでそこは感謝しかしてないです。ただ嫁はとても安定した職業だったので、この先も好きにやらせてくれるかなって思ってたんですよね(笑)
でも、やっぱり僕も子供ができたことで意識が変わって、将来的なことを考えると機会があるんだったら就職したいなと思うようになりました。
環境の変化があったんですね。
やっぱりやるんだったら一番好きなことを仕事にしたかったので、まずそこにチャレンジして、それがダメだったら第2、第3希望って思ってた時に、ユニバーサルの社員の方に「今、人員募集してるから良かったら応募してみたら?」って言ってもらったんです。
ユニバに入りたいと言っても台を開発する勉強をしてきたわけじゃないし、僕にできるわけない。もう歳も歳なのでこれまでのキャリアを活かせるものって考えた時に、販促物だったら雑誌を14年作ってるという自負はあったし、小冊子、営業資料、動画関係でPVの構成案を作るといった仕事なら何とか食らいついていけるかなと思って応募しました。
出役から社員になった時に気持ちの切り替えはすぐにできたんですか?
正直、悔いがなかったと言ったら嘘になります。辞めたのが僕のライターとしての全盛期と感じていた時期で、名前も売れてきて、動画も出て、「オノル=ユニバ、ノーマル好き」って印象もついてきて、チェリ男さん、ワサビさん、髭原人さんたちと名前が並ぶようになった頃でした。
それまでは説得力がなかったんですよ。たとえば後輩に対しても僕の言葉と松本バッチの言葉じゃ全然響きが違うんです。売れてる人の声ってやっぱり聞いてもらえるんで、やっとその順番が回ってきたかなってところだったし、「今だったら僕がやりたかった『楽しさを伝えること』ができるかな」って思ってたんですよね。
もったいない気もしますね。
でもユニバーサルに入れるんだったら、それを全部捨てても天秤は釣り合うなって思いました。むしろ僕の人生を全て賭けないとここに入れない、そのくらい運があるんだったらチャラだし、ヘタしたらユニバーサルの方が重いんじゃないかなって。
嫁との約束も果たせるし、自分が一番好きなメーカーに入れるし、また新しいことがやれるかなって考えました。
尊敬している人で挙げられた上司の方というのはユニバーサルで出会われたんですか?
そうですね。上司にすごく恵まれて、サラリーマン経験も社会人経験もゼロの40歳近い男が一般の会社に入って、何ができるのっていうところから、うまく導いてくれました。
最初は何をしたらいいのかわからなくて、「何したらいいですか?どこまでやっていいですか?」って聞いたら、「怒られるまで何でもやりなさい」って言われたんですよ。そんな言葉が返ってくると思わなかったんで驚きましたけど、じゃあ怒られるまで何やってもいいんだって思ってひたすら色々やりました。
そしたら段々いいラインとダメなラインが体感でわかるようになってきたんです。それを繰り返してるうちにある程度仕事を理解したというか、体で覚えましたね。
動画で「ユニバを攻略した」と仰ってたのはこのことですか?
攻略したのはどちらかと言うと周りの同僚や先輩ですね。最初は「(サラリーマン未経験の)お前に何ができるの?」みたいな感じがすごくありましたし、「お前の意見はマスコミ寄りだ」って指摘を受けることもありました。
我々の部署は営業さん向けの視点にならなきゃいけないので、前職の考えに偏ってはいけないっていうのも理解できたんですけどね。
そういった問題もあったんですね。
上司はそういう風に言われてるところも見てて「小野さんがマスコミでやってきた経験は貴重だし、全部がダメじゃないからちゃんと残しておきなさい。マスコミ経験者としての意見も言っていいし、うまくやってみて」と言われました。
僕の仕事は営業さんが台を売る時に役に立つ資料を作ることだから、その目的さえしっかりしてればブレないはずって思って、前職での経験を活かし、成長していきました。
処世術ですね(笑)
最初、自分をわかってもらえるまではそんな感じでした。今はもちろん販促メンバーとして受け入れてもらえています(笑)
社内の写真も提供していただきましたメーカーに入って驚いたこととして、普段の世の中がわからなくなると書かれてましたね。
そういう答えを望んでたわけじゃないだろうとは思ったんですけど(笑)。これは会社員とフリーランスの一番の違いと感じ驚きました。
販促は開発本部の中にあるんですけど、そこは外から遮断されてて、朝9時半からお昼休憩を除いて定時まで、基本は外に出ないんです。
ずっと社内で仕事をされるということですね。
ライター時代は朝10時に編集部に行って、昼食後少しホールで打って市場調査して帰ったり、携帯の調子が悪いから携帯ショップに寄って行くみたいな自由な感じでやっていましたが、会社員の規則正しい生活とのズレを感じました。
生活感みたいなのがライター時代と比べて180度変わっちゃった感じがします。
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