天草ヤスヲが技術介入機の思い出を語る!初代ハナビの年間収支は1000万円以上!? (1/3)
天草ヤスヲ
熊本県出身。専業から漫画家アシスタントを経て漫画家デビュー。パチスロ7の「苦愛シリーズ」は長期連載の人気シリーズに。Webでの連載や動画出演、来店実戦および取材、さらに連れ打ち企画など漫画だけではないフリーの「パチスロ何でも屋」として業界全体の盛り上げに活躍中。- https://twitter.com/amakusayasuwo
- 天草ヤスヲのちゅんげーブログ
- https://ameblo.jp/yasuwoamakusa/
- 苦愛取材 4番は俺だ!【公式】
- http://blog.livedoor.jp/kurabu_syuzai4/
- ブッコミ回胴記
- https://pachiseven.jp/articles/list_article/41
「エキスパート」天草ヤスヲ編、第2回です。
今回はパチスロのお話!専業時代もあったヤッさんが選ぶ、打ち込んだ機種や思い入れのある機種がたくさん登場します。
初代ハナビで年間収支1000万超え!
ではパチスロについて伺っていきますが、以前パチスロとの出会いは「中2のスーパープラネット」とツイートされてましたね。
そうですね。悪い友達に「1000円持ってくれば3、4000円になるよ」って誘われて、夏休みにモーニングを取りに行ったのがきっかけでスロットを打ち始めました。
その友達が当時では珍しくどこにモーニングが入ったかメモってて、お店のパターンを読んで「ここじゃないか」って言われたところに座ったら、本当に入ってて1000円で350枚くらい出たんです。
8.5枚っていう鬼の交換率だったんですけど4000円になって、中学生にとっては大金だったから「え!?何これ魔法じゃん!」って思いましたね。
ビックリしますよね。
モーニングは1時間後に交換できるので、それまで打たずにボーッと待ってたりするんですけど、スーパープラネットで今でいうRTみたいな等倍返しがあって、30Gくらいタダで回せるんですよ。それを打ってたら友達に「それリーチ目だぞ!」って言われて最初は「何それ?」って感じでした。
それまではモーニングでそろえるだけだったんで、パチスロの楽しさがわからなかったんですけど、自分が回したリーチ目でそろうのは脳汁がめちゃめちゃ出ましたね。
リーチ目をいっぱい覚えれば落ちてたりもするんで、「パチスロやろう!」って思いました。
そこからハマっていったんですね。
そうですね。ハマりすぎて負けた時は、家にある漫画を古本屋に売って2、3000円握りしめてまた打ちに行ってました。それで勝ったらまた買い戻すんです(笑)
安定して勝てるようになったのはいつ頃からですか?
高校の頃、技術介入機が多かった時ですね。そんなに大きく勝てたわけじゃないですけど、モーニングが規制で無くなっても目押しがちゃんとできれば勝てました。田舎だったのでリプレイ外しをやってるのも僕らしかいなかったんですよね。
その時は設定判別をやってなかったので、設定チェックは甘かったかもしれないですけどすごい勝てました。休みの日は友達のバイクで2時間かけて7枚交換の店に遠征したりもしてましたよ(笑)
打ち込んだ機種、生涯ベストの勝てた機種で「初代ハナビ」を挙げられてますね。
そうですね。ハナビは1番打ちました。減算値判別っていう設定が97、98%くらいわかる方法があって、それでほぼ毎日5以上出ていたので、1番稼いだ機種でもあります。
ハナビよりもいい出玉率の台が取れた時はそっちを打つんですけど、それ以外は基本的にずっとハナビを打ってました。例えば獣王みたいなハイスぺ機種がある時はみんなそっちに行ってハナビはガラガラなので、朝イチで何台かに狙いを絞って変更判別をやればほぼツモれてました。
年間収支もかなりプラスだったんじゃないですか?
多かったと思いますね。1機種で1000万を超えてるのはたぶんハナビだけです。
島唄はストック機でストック狙いができたので勝ちやすかったですね。もちろん引き負けることもあったんですけど、ストックが残ってる台に札を差してくれることがあったんで、それを永遠に回していけば出率が高かったっていう感じです。
獣王はやっぱりツモれば万枚確定でしたからね。
1実戦の最高枚数がサンダーV2で24000枚と。なかなかの枚数ですよね。
それも出玉率が150%とかなんですよね。たしかその日にアシスタントの合否の連絡もきたんです。
恐ろしい日(笑)
本当は前日に合否の連絡がくる予定だったんですけど、電話がなかったんで落ちたと思ってたら、留守電に「酔っぱらってて昨日忘れてた!来てよ」って入ってて (笑)
「おぉ!24000枚出た上にこれもあったか!」って思った記憶があります。
色んな意味でホクホクな日でしたね(笑)
前日にアシスタントの電話があったら気が緩んでサンダーV2ツモれてなかったかもしれないですね(笑)
月間最高差枚数10万5000枚というのもすごいですね。
でもその時はまだ等価じゃないので、月額で言うと大体150万円くらいが自己ベストだったんじゃないかな。多分もっと狙えたんですけど、いつでもツモれると思ってたんで、それほどガツガツやってなかったんです。
朝抽選スカったら寝て、ツモったら夜まで打って、クラブか麻雀に行って夜通し遊んで、人間のゴミみたいな暮らしをしてました(笑)
これはノリ打ちだったんですか?
ノリ打ちはしてないです。当時してるやつはほとんどいなかったですね。グループはあったんですけど、収支はそれぞれ別で情報交換だけをしてました。同じ店に行ってる仲間がいて、僕が全部データを取っていたので、狙い台を教えるみたいな感じでしたね。
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