天草ヤスヲは「漫画も描けるパチスロ系何でも屋」?異色の活動で注目を集める男の素顔に迫る! (2/3)
スロプロの経験が漫画家デビューのきっかけに!
いよいよ漫画家デビューのお話です!続いて漫画家デビューまでの流れを教えてください。
本当に運がよかったんです。当時パチスロ漫画誌って多分30種類くらいあったんですよ。パチスロ雑誌も有象無象というか、攻略誌を読むのはちょっと難しいから漫画で軽く勉強したいとか、並んでる時に読むっていう文化があったんです。
その時早坂先生も10本くらいオファーがあったんですけど、数を絞って3本くらいしか描かなかったんです。でもその3本が絵もすごい上手で個性的で話も面白くて、どこでも見かけるイメージの方だったので、別格の扱いだったんですよ。
人気だったんですね。
パチスロ漫画って締め切りの前日に編集さんが原稿を取りに来る習わしがあって、大体朝に終わるので、夜20時くらいに来てでき上がるのを待つんです。
そういう時に僕らアシスタントとも話をするんですけど、ある日「以前は何をやってたの?」って聞かれて「スロプロだったんです」と答えたら、「スロプロなの?漫画家にスロット漫画の依頼をすることはあっても、スロプロが漫画を描いたことはないから、興味がある。ネーム描いてみてよ」って言われて。そのとき描いたネームが「パチスロ王国」で読み切りとして掲載されることになりました。それが1番最初で入って半年くらいの時ですね。
やっぱり最初に掲載された時は嬉しかったですか?
実はでき上がったのを見て「あ~、もっと頑張れたな…」ってショックだったんですよ。なのでそれから半年くらいしてもう1回描くことになった時は気合入れて描きましたね。
それをたまたまパチスロ7の初代編集長が見て「まだ絵が下手だけど、めちゃくちゃ面白いからこいつ絶対に使った方がいいよ!」って3代目編集長に薦めてくださったんですよ。そこから「面白かったから3話読み切りを描いてくれないか?」という話をもらって、さらにアンケートが良くて連載になったっていう形です。だから持ち込みとかしたことがないんですよ。
ええ!それはすごいですね。
パチスロ漫画を描こうと思って入ったわけじゃないのに、解析とか演出が漫画家さんよりはるかに詳しかったから、こういう時こうだよねっていうのが描けたんです。絵は下手だし、1番人気ではなかったんですけど、共感してくれる人が多くて人気が出ました。
パチスロ7での連載期間はどれくらいやられてたんですか?
パチスロ7Jr.で連載デビューして、その途中で違う雑誌で「苦愛」が始まって、そこからパチスロ7に移籍って感じなんですけど、それで14年くらいやらせてもらいました。
色んな人が見てくれてたので苦愛がターニングポイントになりましたね。
個人的ニュースでも挙げられていましたが、先日パチスロ7の休刊が発表されましたね。
そうですね。雑誌は色々キツい状況なので、もっと早く相談してくれてたら色んなことできたなとは思っているんですが…。編集さんがいい人で、作家に迷惑をかけずに自分たちでどうにかしようとするんですよ。でも本って編集さんと作家が一緒にやらないと良いものができないから、僕らにもっと負担をかけてくれてよかったのにって思います。
それがあって「苦愛」を原稿料ペイするために取材として活動しましょうってなったら、その前日に廃刊になったんですよ。企画決めてから動き出すまで2~3ヶ月あるんですけど、その間に終わっちゃって、でももう企画は通っちゃったから、ネットで漫画が続く感じになりました。
では連載自体はネットで続くんですか?
今後はそうですね。連載というよりは不定期になるかもしれないですけど。
今後も楽しめますねちなみに苦愛はあの「松戸苦愛」からきてるんですか?
※松戸苦愛:漫画「カメレオン」で新京成沿線を縄張りとしている松戸の愚連隊の名前。
元々ヤンキー漫画が好きだったこともあるし、初代の担当編集長さんが「北斗の拳SE」というシリーズ中あまり人気がなかった台が好きで「みんなでノリ打ちして勝てるところを見せてもっと稼働を上げよう!苦しい愛だけど」と言っていて、ちょうど良いのでそれがタイトルになりました。
色々な意味が込められているんですね。
編集長が野球をもじってエースとかホームランみたいな感じにしようぜって言って、それで定番を作ってたんです。
それで収録の時はユニフォームなんですね。背番号83がどういう意味なのか気になっていたんですけど、昨日お風呂入ってた時に「あ、ヤッさん!」って気づきました(笑)
そうそう。本当は830にしたかったんですけど3桁はできないって言われて(笑)
今はそれと「ブッコミ回胴記」を描かれてますよね。
ネットで2本やってます。
僕は7~8年くらい前から時代が変わればどんどん雑誌がなくなっていくって感じていたんです。その時にTwitterを始めて、今はパチスロ漫画自体を知らない人も多いと感じて、ネットで無料で気軽に読んでもらえるものがないと、自分を知ってもらえないなと思ったんですよ。
演者の難しさを痛感した「お蔵入り動画」
あの有名漫画家さんからもアドバイスがあったそうです印象に残った仕事で先ほどの「料理の鉄人の店」「漫画家アシスタント」とは別に「お蔵入りの動画」と書かれてますが、これはどんなお話ですか?
僕って漫画家だけど文章も書いて、演者もやって、集客もやってるんですが、やっぱり顔を出して自分を認知してもらわないと、ライターさんの人気に勝てないって感じたんです。なので自分のやりたいことを実現するには絶対に動画をやらなきゃいけないっていうのがありました。
そんな時にしんのすけさんが「ヤスヲで動画作ってやるよ」って結構良い企画をくださったんです。でも、1本目が何の見せ場もなくて大ゴケで、うまく面白く見せることもできなくて、結構偉いディレクターさんもつけてくださったりしたんですけど、自分の不甲斐なさに絶望したんですよ。
それは悔しいですね。
僕、パチスロ動画って知らなかったんですけど、YouTubeとか見てこんなに面白い人がいるんだって思ったんですよね。特にヤルヲ君とは初めてお会いした時に、演者力が突出してて「モノが違うな」と思いました。
うちいくTVのないお君とずっと仲良くて、撮影の後に一緒に飲んだんですよ。その飲んでた店に外国人カップルがいたんですけど、「アイム ジャパニーズ パチスロ№1プレイヤー」とか訳のわからないことを話しかけに行ったんです。それでみんながゲラゲラ笑ってるのを見て、これは自分にはできないなと思いましたね。
チャンスをいただいた時は僕も全力でやってみようと挑んだんですけどやっぱりできなくて、終わった後に悔しくて家でわんわん泣きました。
それぞれにキャラクターもありますからね。
しんのすけさんが「せっかくだからヤスのイラストとかバンバン入れて、他にない動画にしよう」って言ってくださったので、絵を差し込む前に作った動画を見せてもらったんですけど、やっぱりこれは表に出さない方がいいってなったんですよ。
その時にもう動画は辞めようと思いました。動画を本気でやってる人間ってそれに命かけてるので、そういう人たちに「やってみよう」ぐらいの者が勝てるわけがないんです。DVDとか雑誌の動画は続けてたんですけど、ネットの動画はすっぱりお断りするようになりました。
ただ1件だけ来店って言われて行ったら撮影だったっていうのはありましたけどね(笑)
だまされた(笑)
本当にヒドいですよね(笑)。もう動画は他の人に任せました。色んなユーザーさんを打ちたいという気持ちにさせてほしいです。僕はもうそこそこ顔をわかってもらえたんで引こうと思いました。
実は元々顔出し嫌いだったんですけど、ずっと前に東村アキコさんに「ヤス君ぐらいのレベルだったら漫画を描いてるだけじゃ絶対に食えなくなる。漫画家だけど喋れるんだからもっとタレントとして天草ヤスヲを売った方がいいよ」って言われたんです。その時は「漫画でやりたい」って全部断ってたんですけど、5年後に結局顔を出すことになって、「東村さんは5年前にこういうことを考えてたんだな~」って思いました。
色んな人に良いアドバイスをいただいて、チャンスをもらえましたね。
※東村アキコ先生の作品:「海月姫」、「東京タラレバ娘」など
それが全て今に繋がっているんですね。
新しいファンがいっぱい見てくれて、応援してくれるので動画はやって良かったですね。動画を作り続けている人たちもすごくリスペクトしています。
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