HYO.がライターになったきっかけはコラム企画!デビューを勝ち取るも上京拒否? (1/3)
HYO.
宮城県出身のパチスロライター。警備会社を経てパチスロ必勝本ライターとしてデビュー。制御や出目に対する知識と深い愛情を持ち、対人戦のスペシャリストとして心理戦にも長けたトリックスターとして人気を集める。現在はYouTuberとしても活動中。- https://twitter.com/o_hyou_san
- HYO.LIVEチャンネル
- https://www.youtube.com/user/TheChuukenn
- Mildomゲーム配信
- https://www.mildom.com/11322578
- LAST ORANGE 公式ファンクラブ「ORANGe+」
- https://fanclove.jp/club/orange-plus
パチンコ・パチスロ業界のスペシャリストに迫るインタビュー企画「エキスパート」
今回のスペシャリストは
パチスロ必勝本のライターにして、HYO.LIVEチャンネルで実戦動画生配信も行っているHYO.さんです。
第1回はHYO.さんのライターになったきっかけや印象に残った仕事、HYO.LIVEチャンネルのことなどを聞いていきます。
きっかけはコラム企画!
ではまず経歴から伺っていきます。業界歴が丸15年で警備員からライターになったそうですが、きっかけとその流れを教えてください。
当時、警備員の仕事をしながらパチスロでも稼いでいたんですけど、まだネットにある情報がタダで手に入る時代じゃなくて、攻略誌の携帯サイトを有料登録して情報を得てました。
やっぱり必勝本のサイトに登録してたんですか?
そうですね。必勝本の情報は特に早かったので、登録してコラムとか読んでました。
そしたらそこでライターの募集をしてたんです。コラムを送った中から選ばれた数名が毎週1本ずつコラムを上げて、読者投票で1位を一定回数取ったらライターになれるっていう企画があったので、書いてみようかなって思いました。
正直、当時掲載されてた人たちのコラムを読んで、素人ながらに「これだったら勝てるんじゃないかな」って思っちゃったんですよ(笑)
いけるなと(笑)。それは知識とか内容、文章も込みで?
文章的に自分の方が面白いことを書けるんじゃないかと思ってコラムを送ったら、「ライター登竜門」っていうオーディションに出るように言われて、そこで優勝したんです。それで上京することになりました。
これがターニングポイントにもなってますね。
そうですね。
応募した時はどのようなことを書かれたんですか?
どうだったかな。結構下ネタゴリゴリのやつで、言葉遊びを多用してたと思うんですよね。
HYO.さんらしいですね(笑)。それまでも文章を書かれていたんですか?
一切書いてないんですよ。
では文字通りデビュー作だったんですね。
そうですね。警備員の仕事ってめちゃめちゃ暇で、一日中受付みたいなとこに座ってるんですけど、窓の外からは手元が見えない作りになってたんです。
携帯を触ってる人もいるんですけど、僕はハリー・ポッターとかファンタジー小説にハマって毎日読んでたので、それで自ずと文章力が付いたのかもしれないですね。
動画で拝見しましたが、一度ライターの話を断ったそうですね。
「東京に出てきなさい」って言われたんですけど「嫌です」って言いました(笑)
上京したくなかったんですか?
最初はフリーのライターとして来いって話だったんですよ。当時仙台で暮らしてたんですけど、その時のスロットの状況だと自分がジグマしてる店に行けば食えたんです。それを捨てて上京して、しかも仕事があるかどうかわからないなんてそりゃ行かないですよ。
でもすぐまた連絡がきて「それなら固定給20万払う」って言われたんですけど、安いからって断ったら激怒されました(笑)。これは関係悪くなったかなって思ってたんですけど、また電話がきて「30万ならどうだ?」ってことだったので上京を決めました(笑)
編集長も嬉しかったでしょうね(笑)。他にライターさんで固定給の方はいらっしゃったんですか?
いなかったですね。ただめちゃめちゃ雑誌が売れてて、パチスロ部門が好きに金を使えたんです。
ちょうど文章の校正をする人がいなくてそこに時間がかかっていたので、できるやつを雇おうと僕が呼ばれました。
待望の人材だったんですね。
でもすぐに会社に行かなくなりましたね。誰も気づいてなかったので家で寝てたり、パチスロ打ったり遊び惚けてました(笑)
動画でも「出勤しなくても怒られなかった」と仰ってましたね(笑)
そうなんですよ。雑誌って何班かに分かれてやってるから、僕がいなくても「あいつ今日もいないけど、きっとあそこの仕事やってるんだな」って思うんです。でもよくよく聞くとどこにもいない(笑)
実際どれくらいの期間気づかれなかったんですか?
最初の2ヶ月は真面目に行ってたんですけど、月末の忙しい数日間以外はそんなに仕事が来ないんです。しかもその時期になると、僕も編集部のみんなと他の仕事に駆り出されて、校正の仕事はしないからいいやって思っちゃいました。
その状態を半年くらい続けたら「1人でデカいライティングの仕事をやれ」って言われて、仕返しというか固定給以上の仕事をやることになったんですけど、その後さらに月給を上げてもらったので、1年半くらいは固定給をもらってその生活をしてましたね。
その時からライターネームは飄だったんですか?
最初からですね。
その由来は何だったんでしょう?
「これだ!」って最初から決めていたわけじゃなくて、ペンネームを決める時に、どんな風にやっていきたいのか聞かれたので「飄々とやっていきたいな」というところからこれにしました。
表記もひらがなか漢字か考えてた時に「うしおととら」の「鏢」というキャラクターから、漢字にしようって決めました。でも「鏢」はパソコンで出づらいから風が入ってる「飄」にしたんですけど、それでも出づらかったですね。
※うしおととら: 週刊少年サンデーで連載された人気漫画。主人公の少年、潮(通称:うしお)が妖怪のとらと共に、「獣の槍」を武器に最強最悪の大妖怪「白面の者」と戦う物語。鏢は符の力を用い妖怪を退治する符咒士。
「ひょうひょう」と打たないと出ないですよね。そこから現在の「HYO.」に改名されたのは何がきっかけだったんですか?
読めないって言われたり、ひょうたんの「瓢」と間違えられたり、ややこしいので変えたかったんですよ。
それで姓名判断をやってみたら、「HYO」にもう1画足すとバッチリだって出たんです。そこで「あ、ドットつければいいんだ!有利区間をつけよう」って思ってそれにしました。
漢字でも点をつけたりして画数を調整することがあるみたいですね。
ありますよね。うちの親父と息子もそうしてます。
ちなみにライターでやっていけるなと思ったのはいつ頃でしたか?
ないです(笑)。警備員は給料も安かったし、将来性もないし、ずっとやっていくことを考えたらまだこっちの方がいいやっていう感じだったんですよ。だから今でもなんとなく続けているところがちょっとあります。
4号機の落ち目から入ったんで、5号機になってとんでもない真冬になったり、少し盛り上がってライターバブルがあったりしましたけど、それも一過性のものだろうなって思ってました。
やっぱり6号機でまた落ちてきてて、そりゃそうだよなっていうのもあるんで、ライターの仕事はいつなくなってもおかしくないなって常に思ってますね。
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